スキャンダルを超える執念。
読むつもりはなかった。著者が赤ん坊を抱いている写真が、本の表紙や広告に大々的に使われていたからだ。彼女が、そしてこの本がふりまくスキャンダラスなイメージは、読もうという私の意欲を萎えさせた。しかし、一方では、このような特異なイメージ戦略こそが、部数の伸びに貢献しているのだろう。
ついに読み始めた理由は、朝日新聞に掲載された橋爪大三郎氏の批評が忘れられなかったからだ。橋爪氏はこう書いていた。 「現実の人間関係をそのまま<物語>として公表していいのかという問題がある。赤ん坊の父親は匿名だが、写真週刊誌の餌食(えじき)になりそうだ。彼は自業自得でも妻は大きな痛手を被ろう。ほかにも傷つく人びとが大勢いるはずだ。これ以外になかった柳さんの必然は必然なのだが、心の痛むことである。」(朝日新聞2000/7/30「ベストセラー快読」より)
実際に、この小説のせいで傷ついた人がいるのだろうか? それは、登場した(orさせられたorさせてもらった)当人たちの判断に委ねるしかない。ただ、ここに書かれた内容は、柳美里や登場人物に関する予備知識がまったくない、まっさらな読者にさえ「すべて事実なんだ」と信じさせる重みをもっている。
もっとも傷つくのは著者自身かもしれない。それでも彼女は書く。何を言われようが書く。そのことに打ちのめされ、勇気づけられた。親しい人と闘うことや孤独になることを、彼女は恐れていないのだ。この本は、表面的にはあざとさを感じるが、中身には、それだけでは片付けられない非凡な執念を感じた。
「子供を産んでも保守的にならない柳美里」は、今後どのように子育てをし、その子はどう育つのか?
2000-10-26
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