体で感じる映像装置。
メディア・アートの第一人者、ゲイリー・ヒルの新作ビデオ・インスタレーション展。暗闇の中で体感する5つの作品のうち、3つの作品が印象的だった。
「ウォール・ピース」は、デジタルの身体的表現。作家本人が壁に体を打ちつけながら言葉を叫び、光がフラッシュする 。そんな瞬間的映像の連続で長い文章を表現する試み。痛々しさの中に、デジタルメディアで文章を表現することの可能性が浮かびあがってくる。
「ローリンルームミラー」は、ビデオカメラとプロジェクターが別々に動いている部屋。カメラは部屋をくまなく撮影し、プロジェクターはそれを壁のあらゆる部分に投影する。自分に光があたり、壁に映し出されたとき、しくみがわかる。そのうちに「映ってみよう」という気になり、カメラの動きを先取りして自分から積極的に動き出す。どこにどう映るかは予測できず、カメラとプロジェクターにふりまわせらる体験は楽しい。カメラを向けられると逃げたくなるが、カメラに逃げられると追ってしまうのだ。
「サーチライト」は、壁に沿って水平に動く小さな映像。ぼんやりしているが、ときどき焦点が合い、水平線であることがわかる。つまり、この水平線は「いつも見えているわけではない」のだ。実際の水平線だって、天候や時間によって見えないことが多いだろう。つまり、これはとてもリアルな映像なのだ。写真や映像はいつでもくっきりと1ケ所に見えているべきもの、という固定観念に対するアンチテーゼを感じる。ゆっくりと移動する儚い水平線の映像は、とても美しい。
12月9日に明治神宮の参集殿でおこなわれる彼のパフォーマンスにも、ぜひ行ってみたいと思う。
*ワタリウム美術館で2001年1月14日まで開催中
2000-11-25
男ってこんなこと考えてるの?
妻子もちの男のリアルな1日。文字どおり静かな心の揺れ動きが細密に描かれている。「男ってこんなこと考えてるんだ」とのぞき見のような感覚で読み進んでしまう。静かだけど切実な小説。静かだからこそ、もっとも大きな心の問題をつきつけられる。愛について。女について。生活について。希望について。
「こんな男いやだなー」とまずは思う。浮気、弱気といった「女に嫌われがちな要素」がたっぷりと盛り込まれているからだ。できれば、こんな心の中は見たくない。だけど、この小説の作者は、自分とはまったく関係ない男だから、安心してつい、こっそり読んでしまう。
この男の気持ちが、とてもよくわかるのも事実。要するに「女々しい男」なのだから、女こそ、この小説の最大の理解者ということもできる。理解がはじまると、次に共感が生まれ、やがてこの男に対する「いとしさ」さえ芽生えてくるのだから驚きだ。
どこか大人になりきれずに、いつまでも女々しく揺れ動いているような男というのは、女に嫌われるどころか、むしろ母性本能を刺激され、「しょうがないわねー」と許されてしまう、最も典型的なタイプなのかもしれない。
ところで、男性はこの小説をどう読むのだろう?
2000-11-19
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疑似恋愛のパワー。
マラソンの高橋尚子をシドニーオリンピックで金メダルに導いた名監督の本。報道ではわからなかった彼の強い信念が伝わってくる。小出監督は、単なる飲んだくれのオヤジではなかったのだ!
女子チームを率いる仕事には相当な気配りが必要で、中でも「えこひいき」は厳禁だという。だが、小出監督は、選手がふてくされたときにも、タイミングを見定めて絶妙な言葉をかけ、彼女の顔をぱっと輝かすことができる。ふだんから「必ず口に出して」「本心から」「くりかえし」ほめることを忘れないし、試合に同行できないときは、深夜に国際電話をかけ、直前まで親身に指導する。しかも、こういうことを一人ひとりの選手のタイプや生理に合わせてやっているというのだから、驚異的なマメさである。
年の離れた恋人同士にも見える小出監督と高橋尚子だが、監督のアプローチは、まさに疑似恋愛モードだ。「こちらが誠意を示して一所懸命になれば、必ず相手も一所懸命になってくれる」「こっちが手を抜くと必ず相手も手を抜く」「可愛がってあげれば、必ず心が通じる」「彼女がどういう言葉を掛けたら喜んでくれ、何をいったら傷つくのかということを、あらかじめ把握しておくことが大切」- これらはコミュニケーション論であり恋愛論でもある。男性が読めば、意中の女性の落とし方がわかるだろう。
小出監督に巡り合えない普通の女たちは、どうやって自分の夢を実現すればいいのか? 素直であること。柔軟であること。冒険すること。楽しむこと。不安を感じなくなるまで練習すること。 要は「保守的な思い込みの呪縛から逃れること」に尽きると思う。恋愛をしていれば誰もが自然にできてしまうであろう、ごくシンプルなことだ。
2000-11-05
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リアルは「問題作」なのか?
こういうのを待っていた!と素直に思えた映画。初めて村上龍の小説を読んだときのような印象。きれいごとではない、フランスの現実というべき風景が、50男のモノローグを通して描かれる。目をそむけたくなる映像が続出し、人間の心にひそむネガティブな感情が赤裸々に暴かれる。見ていて気分が悪くならないのは、それらが圧倒的にリアルだから。規制概念の枠の中でつくりこんだ「適度に上品な映画」のほうが、よっぽど下品でおぞましいと思う。
モノローグのセリフは普遍性があってすばらしい。だれもがホームレス寸前の前科者の心に同化し、憎悪の高まりやパニック寸前の感覚を共有することができるだろう。部分的にはゴダールの映画のようだが、ストーリーは実に明解で、シンプルで洗練されたエンターテインメントになっている。等身大のフランス、そして人間のリアルをストレートに見せたこの作品が、なぜ「過激」の烙印を押されてしまうのか。つまり、それは、近年まれにみる「正攻法で傑出した映画」ってことの証拠だ。
人の内面には、生まれながらにモラルが備わっているわけではない。もしかすると、私たちは、世の中の規範に心の中まで犯されているんじゃないだろうか? 他人の評価ではなく、自分の本能的な価値観を道しるべに幸せをつかみたい。そんなピュアな気持ちになる。
*1998年フランス映画/渋谷シネマライズで上映中
2000-11-02
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流通経路をはずれた小説。
イラスト集であり、小説集であり、10曲入りのCDとポスターまでついている。著者はカリスマ的ミューシャン(今年解散したブランキー ジェット シティのギター&ボーカル)であるから「ぜいたくな装丁のCD(5,800)」と考えるのが自然かもしれない。しかし、CDをつけるアイディアはあとから決まった、と本人がラジオ番組で語っていた。この商品の本質は、絵なのか、文字なのか、音なのか。そして一体どこで買えるのか?
一般に、型破りで面白い形態の本は、部数の少ない(ことが稀少価値にもなる)アート本というジャンルに多くみられるが、デザインが優先されるあまり、日本語の文章が軽視されることが少なくない。
しかし「SHERBET STREET」はちがう。浅井健一は、もともと日本語へのこだわりを強く感じさせるアーティストなのだから。さっそくCDを聴きながら絵を眺め、小説を読んでみると、多才な彼の作品世界が、ゴダールの映画のように立体的に迫ってくることがわかる。とりわけ小説の部分は異色で、紙も印刷も、そこだけ懐かしい匂いがする。水色の文字の中で、彼の感性は、編集者のチェックなど受けず、生々しい無垢な形のまま自由な翼を広げているように感じられる。
CDをエンドレスでかけながら、いつまでも読んでいたい絵本。終わってほしくない物語。ネット上のBOOKストアでは見つからなかったが、ネット上のCD ストアで買えた。
2000-10-29
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