『プラナリア』 山本文緒 / 文芸春秋

終わらない日常。変わらない自分。

私たちの日常は、まるで山本文緒の小説みたいだ。
他人との違和感をテーマにした、5つの短編変奏曲。

1「少しくらい違和感があってもこの人はいい人で、私の憧れの人であることは変わらない。まったく違和感を感じない他人などこの世に存在するわけがないのだから」(プラナリア)
ー乳がんを切除し、今も治療中の主人公は、露悪的に自分の病気の話をし、他人を困らせてしまう。彼女の傷は、誰にも私の気持ちなんかわからないだろう、という投げやりなアイデンティティなのである。

2「私は自分がやがて立ち直って、また社会に出て働きはじめるであろうことは分かっていた。疑問を持ちつつもまた前へ前へと進んでいくのだ。それが何故だか分からないがとても悔しかったのだ」(ネイキッド)
ーこの短編の主人公は、夫と仕事を同時に失った女。なかなか立ち直ろうとせず、周囲を心配させるのだが、彼女の傷もまた、露悪的な凶器となって他人との溝を深める。

3「心から怒ってないじゃん。子供の頃はうちのママは優しいんだな、なんて思ってたけど、実はあんまり関心ないんだって大人になって分かったよ」(どこかではないここ)
ー淡々と仕事をこなす母親が、子供たちから「リストラ」されてしまう話。日常のぼんやりした違和感は、大きく爆発することがないゆえに、歪んだ形で子供たちに伝わってしまう。

4「私は恋愛感情のない男の人とだったら気楽にセックスすることができた。どこかねじ曲がってはいても自分にも性欲があることにびっくりした。そして朝丘君も実は同じような問題を抱えているのかもしれないと思うようになった」(囚われ人のジレンマ)
ーセックスレスの恋人である朝丘君と私は、心理学を媒介にして気持ちを探り合う。いちばん近い存在なのに、不信感が深まるばかりでプロポーズに応えられない私。

5「マジオさんはさー、どうして自分の思う通りにいかないと、いちいち怒るわけ?」(あいあるあした)
ー妻に捨てられた後、素性も知らないまま同棲した女に、こんなことを言われてしまう男。彼が苛立つ理由は、自分の心を誰にも開くことができず、したがって、誰かを問い詰めることもできないからだ。

いずれの短編も、他人が信じられず、素直になれない人たちを扱っている。プライドが高くて、傷ついていて、動揺していて、疲れている人たち。何が間違っているのか、どうすればいいのか、明快な答えが出ないところが説教くさくなくていい。だから、どの短編にも終わりがない印象。人の性格は簡単に変わらないし、問題は簡単に解決しないけれど、そのままでいいんじゃないかと肯定されているような穏やかな気持ちになる。

自分の受けた傷や違和感と、時間をかけてきちんと向き合っていくことは大切だ。立ち直れとか、まともに働けとか、素直になれとか、他人にとやかく言われる筋合いはないし、世の中の常識的なテンポにあわせる必要なんてないのだと思う。私たちには、ささやかなプライドを守りながら、ゆっくりと不器用に生きる自由がある。

2001-03-16

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『聖邪の行進―幻想戯曲「解放軍」より四季のある楽園』 窪塚洋介 / ぴあ

恋愛は、自分のために。

「絵のない絵本」と帯に書かれている。ブルーの文字と白い紙。それだけの色しか使われていない静かな本だ。静かだから、本屋で目立っていた。ぜんぶ立ち読みしてしまおうという誘惑にかられたが、帯にもうひと言、「どうか ゆっくりと読んでください 窪塚洋介」とあった。クボヅカくんに、そう言われちゃあ仕方ねえ。私はこの本を購入し、リゾートっぽいカフェで読むことにした。帯のコピーというのは、第三者があおるより、本人が静かに書いたほうが効果的なのかもしれない。気になる俳優が書いた本、という予備知識だけでは、おそらく買わなかっただろう。

島にすむ「僕」は、一人で海を見て、煙草を吸い、白いレンガの家で本をよみ、風呂に入り、眠り、朝食を食べ、海にもぐり、夢を見て、ビールを飲み、テレビをつけ、町まで買い物に行くために飛行場へ行き、ポーターと話をし、飛行機に乗り、女と出会い、だけど一人で食事し、本を買い、ダンスホールへ行き….

その間、絶えず考えているのは「君」のことだ。白いレンガの家を出て行ってしまった「君」のこと。どんな事情があったのかわからないけれど、とにかく「僕」はまだ、「君」に執着している。だから、魅力的な女が近づいてきても、「僕」は何も感じない。

 「人はどの瞬間にどうやって
 人を愛するのだろうか
 どんなに論理的な理由をくっつけてみても
 メッキにしかならないのだということは
 だいぶ前からわかっているつもりだ」

女に食事を誘われるが、今は一人でいるべきだと思った「僕」は断る。「君」の存在がなければ、間違いなく自分からアプローチしていたであろう女の誘いを。

 「君と出会っていなかったら
 僕は今
 何を想い何を考えているのだろう
 未来は奇跡なのだろうか
 過去は運命なのだろうか」

恋愛の苦しさって、こういう、わけのわかんなさだ。どうして出会ってしまったんだろう? 出会ってよかったのか? 一体何のために? なぜこの人でなければダメなのか?・・・・・意味を求めようとすればするほど、足元をすくわれる。結局は、相手と向き合うしかないのだ。でも、相手が目の前にいない場合は、自分の気持ちと向き合わざるを得ない。そして、何か具体的な行動を起こし、気持ちに決着をつけるしかない。

自分の気持ちと向き合うのは、こわい。考える時間が山ほどあるのは、つらい。このままじゃいけないという気持ちを一時的にごまかすには、誰かに一緒にいてもらえばいい。そうすれば楽だけど、でも、やっぱり、それじゃあ何の解決にもならないんじゃないかって思う。

「僕」のように、一人でいるべきだと思ったときは、どんないい女(男)に誘われても断ること! 一人でいるべきだと思わなければ、どうでもいいんだけどね(笑)。要するに、それは、誰かを裏切らないということではなく、自分の気持ちを裏切らないってことだ。

こういうことが、ちゃんとできている人って強い。曖昧な気持ちのまま行動して、他人を傷つけたりすることもないだろう。そのとき、どんなに苦しかったとしても、幸せになれる人だと思う。

2002-03-09

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『ぐるぐる日記』 田口ランディ / 筑摩書房

田口ランディは、生身がおいしい。

田口ランディの本の中では「ぐるぐる日記」がいちばん刺激的である。

長編小説はあまりに時流に乗っており、短編小説はあまりに巧く、エッセイや対談はあまりに教育的。要するに、できすぎているのだ。できすぎた設定や結論を読んでいると、自分ができの悪い男になったような気がしてくる。女の私でさえそう感じるのだから、本当にできの悪い男が田口ランディの本を読んだりしたら、かなり教育されちゃうことは間違いない。「オヤジに説教させたら右に出るものなしと言われたあたし」と本人も書いている。

私は享楽的に生きている女なので、完璧に構築された世界よりも、どちらかといえばもう少し不完全な世界、未完成な作品が好きである。その点「ぐるぐる日記」には、彼女の生命力とともに不安定な弱さや矛盾の片鱗が見られ、乱れた息づかいが感じられる。体調不良な日があり、馬鹿おもしれえ日があり、泣きたくなる日がある。夫を罵倒する日があり、ほめちぎる日があり、失礼な原稿依頼やメールにタンカを切る日がある。生身の田口ランディに最も近づけるのがこの本なのだ。オヤジには刺激が強すぎるかもしれないが。

「この日記は九十九%真実です」というあとがきを読み、つい1%のウソ探しをしてしまった。まず「あたしから書くことを取ったら何もない。無能なバカ女である」というのはウソだ。テレビ出演の際、初対面のテリー伊藤に「あんたおもしろいねえ!」「ゲストでしゃべりが面白い人ってめずらしいよ」と絶賛されちゃうほどタレント性のある彼女が「ただの田舎のオバサンの私」であるはずはない。「人前であがることもないし恥ずかしいと思うこともない」というし、銀座のホステスという輝かしい経歴もある。たとえ書かなくても、しゃべったり歌ったり踊ったりして人々を救う人物であるにちがいない。

「育児と家事に追われて、たまに原稿を書いている酒好きのオバサン」というのも大ウソである。ある日などは、午前中に30枚小説を書き、もう20枚書き続け、その後ビデオを1本見て、もう1本は夜中に見ようという。超人的だ。速読もできるそうだが、追われているのは「育児と家事」だけではない。しょっちゅう旅に出たり、東京に出たり、飲んだくれたり、自由と孤独を味わったりしているから忙しいのである。これって筋金入りの物書きじゃん! 安定した生活の場と夫と子供が、彼女をのたれ死にから救っているともいえるが、彼女自身はひょっとしたら家族に看取られるよりも、のたれ死にを選ぶのでは?と思わせるところが、すごくいい。

「私は、過去にも今も、有名になりたいという向上心を持った事がない」という一文には唸った。うーん、これは真実だと思う。彼女は長い間、身内およびネット上の限定的なカリスマであり続けたらしい。きっと、有名になること、金を稼ぐことが第一の目的ではなかったのだ。そのかわり、個人の責任で発信するメールマガジンに好奇心とジャーナリズム精神をたっぷりつぎこんできた。価値ある内容だ。無報酬だからといって手を抜いたりしない。好きなことを自由に書き、読者の反応によって学習し、世界を自在に広げてきた。彼女のやっていることはビジネスでも趣味でもなく、純粋な動機に基づいたプロの仕事だと思う。

1年間の日記とともに、メールマガジンを一部収録し関連づけている点が面白い。彼女が日々の生活からどんなふうにテーマを選択し、コラムを書いているのかがわかる。生身の田口ランディが感じられるだけでなく、ちゃんと勉強にもなっちゃうのだ。そういう意味では、この本も、できすぎている!

「感読 田口ランディ」に収録されました。

2001-02-28

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『深緑』 AJICO /

ゆるくてタイトな日本のロック2

ラッピングペーパーのような歌詞カードが好き。外側はピンクのイラストで、内側は深緑の文字。

1曲目の「深緑」、3曲目の「美しいこと」、11曲目の「波動」もすばらしいが、ずば抜けて良いのが、2曲目の「すてきなあたしの夢」。UAと浅井健一、二人の才能が共振し、音楽が生まれる瞬間のシンプルな幸福が立ちのぼってくる。歌詞はUAで曲は浅井健一だが、ギターが言葉で、ボーカルが楽器のようにも感じられる。

人と人との出会いによって、新しい表現が生まれる。一人ではできなかったことができる。この二人は、文字通り、そんなすてきな夢を見せてくれるのだ。UAとのコラボレーションでは、浅井健一の表情もどこかリラックスしており、余裕が感じられるではないか・・・・(男はリスペクトする女性がそばにいるとそうなのか?ナナコとソリマチの結婚記者会見を見てそう思った。キムタクも2ショット会見をすればよかったのに)。

「すてきなあたしの夢」というタイトルは、「すてきな夢」でもあり「すてきなあたし」でもあるのだろう。テクニックに裏付けられたナルシシズムは、とてつもなく美しい。「すてきなあたしの夢を明日の午後にかなえよう」という言葉のゆるさに癒される。

2001-02-23

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『TEAM ROCK』 くるり /

ゆるくてタイトな日本のロック1

くるりの「ばらの花」という曲をきくたびに、これは何だろうって思ってた。ジャンルがよくわからなかった。分類できないものは、妙に気になってしまう。ここ1か月というものJ-waveでばんばん流れているし、HMVにいけば、いつだって、私の短い滞在時間の間に1回はかかる。

この曲のイントロが始まると、なぜだか調子が狂う。おもちゃの時計みたいなリズムに、さりげなく、つかまれてしまう。雨とか朝とかジンジャエールとかバスとか、脱力系の言葉の世界が、サビの部分で1度だけエモーショナルに盛り上がるはずだから、それを聴きのがすまいっていう気持ちになる。

アルバムを聴いてみて、端正なリズムとテクニカルなサウンド、そして力の抜けたボーカルのマッチングが面白いんだなと思った。歌いたいことを等身大の日本語で歌い、やりたい音楽をタイトに実現してる。音楽性の高さにつられて、日本語の価値が上がるみたいな気がして嬉しい。

日本語と英語を絶妙に溶け込ませたラブ サイケデリコは、「日本語もこんなにかっこよく歌えるんだ」と感動させてくれるけど、くるりは、「ゆるーい日本語もこんなにかっこいいじゃん」って応援したくなる。

2001-02-23

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