『テスカトリポカ』佐藤究

空気を書くこと。情熱を共有すること。

『テスカトリポカ』の直木賞受賞が決まり、その贈呈式があったのは、2021827日。小説のラストシーンは、2021826日の川崎だ。なんという偶然だろう。この日付は、物語を構想した時から決まっていたそうだが、ラストシーンで明かされる日付の意味を考えると、500年前から決まっていたとすらいえる。

現実と生々しくリンクしたフィクションなのだ。ボリューミーな560頁を読み終えたとき、物語に耽溺させた最初の風景が19967月のメキシコであり、6年後に主人公のコシモを産むことになる17歳の少女であったことを思い出し、ずいぶん遠くまできたなと思う。まるで自分ごとのように。

小説は、時に映画以上の体験をもたらしてくれる。個人的には、物語の重要な通過地点のひとつであるジャカルタの都市の風景が忘れられない。とくに、やがてコシモと出会うことになるバルミロという男がオーナーをつとめるコブラサテ(コブラの串焼き)の移動式屋台。ジャカルタ名物のようだが、生きたコブラを檻から取りだして短剣で料理するのだから、命の危険を伴うコワさがある。

バルミロは、コブラサテで儲けようとは考えていないし、屋台の裏でこっそり手掛けるヤバイ商売で儲けるつもりもない。では一体、何を考えているのか? この男はどこから来て、どこへ行こうとしているのか? バルミロのコワさ、ヤバさこそが別格なのだ。コブラサテが、観光客をよろこばせる牧歌的な料理と感じられるくらいに。

バルミロと観光客の人生が交わることはないが、コブラサテの移動式屋台では、異なる世界の光と闇が一瞬だけ交錯しては、消えてゆく。つまり、そこに描かれているのは、ジャカルタの猥雑な空気そのものなのである。

著者の佐藤究さんにオンラインでインタビューさせてもらう僥倖を得たが、メンタルもフィジカルも半端なく強く、格闘家の魂をもつ人のようだ。キックボクシングジムで念願のミット打ちを経験したときのような、大いなる刺激を受けた。

そんな佐藤さんがツイートしていた言葉。「どんな小さな企画でも情熱を共有できるかが重要」
日常の何気ないひとこまひとこまに情熱をもって対峙することで、私たちは、想定外の風景と出合えるのかもしれない。からだを鍛えねば、と思った。コシモのように、朝はサラダチキンだな。

2021-9-7

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『ロックス』サラ・ガヴロン(監督)

10代のバリエーションは、いつ奪われてしまうんだろう?

2021年英国アカデミー賞で「キャスティング賞」を受賞しただけあって、中心となる10代の女の子たちの生命力が、あまりにもすばらしい。

食欲旺盛で力があり余っているローティーンの女の子たちが最強だということは、コロナ禍の日本を舞台にした金原ひとみの連作小説『腹を空かせた勇者ども』『狩りをやめない賢者ども』を読めばわかるのだけど、この映画の舞台は、コロナ前のイースト・ロンドンだ。

新しい才能に贈られる「ライジング・スター賞」を受賞したブッキー・バークレイが演じたのは、ジャマイカとナイジェリアの血を引く15歳のロックスという女の子。

やさしそうだが心が弱くて何か問題を抱えているように見える母親と、恐竜と虫が大好きな幼い弟との平和な3人暮らしは一瞬しか描かれず、母親はわずかなお金を置いて家を出て行ってしまう。いつ戻ってくるのか、本当に戻ってくるのか、まったくわからないし、頼れる親戚もいない。ロックスは、弟を守りながら生きていくことができるのか?

かなりハードな状況を描いているし、しんみりするシーンもあるのだけど、この映画を貫くのは、10代の女の子たちの底抜けに明るいパワーであり、凄まじいケンカっぷりやコワレっぷりであり、その先の友情である。何よりも、説教くささを1ミリも感じさせずに、国籍や宗教や肌の色や体形が異なる女の子たちが、自然にわちゃわちゃ集まっているのがいい。これは間違いなくキャスティングのセンスなんだろうけど、このバリエーションの豊かさは、自分自身の子供時代を思わせるものだ。いや、誰にとってもそうなんじゃないだろうかと思えるくらい、この映画には、人間という生き物のベーシックな生態が描かれているのである。

問題山積みだったし、あまりに無謀だった子供時代。危険な子もいたし、実際に危険もあった子供時代。ロックスのような子もいたが、私は彼女を助けただろうか。私は、誰かに助けられただろうか。そもそも、誰かに助けを求めたり、求められたりしただろうか。映画のなかの彼女たちのように、そのときにできる、いちばんいい選択ができていたのだろうか。

思い出したくないような鈍い痛みと、まぶたの裏にまだうっすら残っているような気がする冗談みたいな光が、初めてロンドンを脱出した彼女たちのラストシーンと重なって、たまらない気持ちになる。ロックスの弟のエマニュエルが幸せでありますように。そして、彼女たちが本当の強さと幸せにつながる道を歩けますようにと、祈らずにいられない。

2021-8-25

amazon(サラ・ガヴロン監督の前作)

2020年文庫本ベスト10

●たてがみを捨てたライオンたち(白岩玄)集英社文庫
 
●ソルハ(帚木蓬生)集英社文庫
 
●宇宙でいちばんあかるい屋根(野中ともそ)光文社文庫
 
●浅田家!(中野量太)徳間文庫
 
●ユニクロ潜入一年(横田増生)文春文庫
 
●白の闇(ジョゼ・サラマーゴ/雨沢泰)河出文庫
 
●いのちの初夜(北條民雄)角川文庫
 
●THIS IS JAPAN  英国保育士が見た日本(ブレイディみかこ)新潮文庫
 
●表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬(若林正恭)文春文庫
 
●ひきこもりグルメ紀行(カレー沢薫)ちくま文庫

2020-12-31

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2020年単行本ベスト10

●推し、燃ゆ(宇佐見りん)河出書房新社
 
●破局(遠野遥)河出書房新社
 
●来世の記憶(藤野可織)KADOKAWA
 
●星に仄めかされて(多和田葉子)講談社
 
●オルタネート(加藤シゲアキ)新潮社
 
●丸の内魔法少女ミラクリーナ(村田沙耶香)KADOKAWA
 
●パリの砂漠、東京の蜃気楼(金原ひとみ)集英社
 
●木になった亜沙(今村夏子)文藝春秋
 
●雲を紡ぐ(伊吹有喜)文藝春秋
 
●デッドライン(千葉雅也)新潮社

2020-12-31

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2020年洋画ベスト10

●ジョジョ・ラビット(タイカ・ワイティティ)
 
●8月の終わり、9月の初め(オリヴィエ・アサイヤス)
 
●冷たい水(オリヴィエ・アサイヤス)
 
●夏時間の庭(オリヴィエ・アサイヤス)
 
●ダゲール街の人々(アニエス・ヴァルダ)
 
●5時から7時までのクレオ(アニエス・ヴァルダ)
 
●来る日も来る日も(パオロ・ヴィルズィ
 
●天空のからだ(アリーチェ・ロルヴァケル
 
●私の知らないわたしの素顔(サフィ・ネブー)
 
●パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ)

2020-12-31

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