『イン・ディス・ワールド』 マイケル・ウィンターボトム(監督) /

亡命者と旅行者は、似ているか?

デジタル・ビデオならではの真に迫る映像。個々のシーンは細切れだが、解説が入るからわかりやすい。パキスタンの難民キャンプからロンドンを目指すジャマールとエナヤットが今どこにいて、どれだけ時間が経ったのかが説明され、電話をかければ相手の様子が映し出され、ジャマールの話せる言語にはすべて字幕がつく。だけど1時間半という上映時間は短かすぎで、せっかく映像に力があるのだから、説明より描写で押し切ってほしかった。この映画は、コンパクトさや盛り上げすぎな音楽も含めてサービス過剰なのだ。

ドキュメンタリーではないがドキュメンタリー番組のようなこの映画は、パキスタンの難民キャンプで発見され主役に抜擢された推定年齢15才のアフガン人少年ジャマールの人生を大きく変えた。映画の撮影終了後、彼は映画用に取ったビザを使い、本当にロンドンへ亡命したという。一方、準主役で22才のエナヤットのほうは、すぐに家族のもとへ帰った。彼らの故郷のシーンにおける子供たちの表情は実に幸せそうで、アフガニスタンで生まれた親の世代はもちろん、難民キャンプで生まれた彼らが成長しても、皆が亡命しようと考えるわけではないだろうという当たり前のことを想像させた。

だが、お金と勇気ときっかけがあれば、亡命を企てる人は多いのだろう。そして、そんな自由になるための生き方ですら、今やお決まりのコースのひとつであり、そのためのルートがあり運び屋がいる。もちろん亡命者の切実さは、単なる放浪者や旅行者のメンタリティーとは次元が違い、悪質な密航手配業者に頼れば、金を騙し取られるばかりか命の保障もない。亡命に必要な能力とは、英語でジョークが言え、サッカーができ、母国語で祈れることなのだと私は確信したが、最終的に問われるのは、良いブローカーを見抜き、誰について行けばいいのか、どういう局面では逃げるべきなのかを瞬時に判断できる能力であることは間違いない。

蒸し暑いコンテナに密閉された亡命者たちが、イスタンブールからフェリーで運ばれ、40時間後にようやくトリエステに着いた時、生き残ったジャマールは保護されることを恐れ、いきなり走り出す。トリュフォー「大人は判ってくれない」(1959)ジャン=ピエール・レオーを彷彿とさせるシーンだ。みずみずしい光に満ちたイタリアのバールでチープなブレスレットを売り、バッグを盗んで得たお金で汽車に乗り、フランスへ向かうジャマール。ロンドンまであと少しだ。今後、イタリアでバッグを盗まれることがあっても、あきらめるしかないなと思う。

ロンドンに着き、レストランで働くジャマールを見て、私は、先日行ったボローニャ郊外のピッツェリアで働いていた女の子を思い出した。彼女の表情は、私をものすごく不安にさせた。このピザはおすすめではないのか?もっとたくさん注文すべきなのか?私は何か悪いことをしたのか? 彼女はキェシロフスキの映画に出てくるポーランド女性のように見えたが、隣のテーブルのイタリア人によると、ボスニア出身だという。「彼女は絶対に笑わないんだ。自分の国がシリアスだからね」とその人は冗談っぽく彼女の表情をまねては大笑いし、なごませてくれた。ボローニャで働いている外国人の彼女とボローニャに遊びに来ている外国人の私は、地元の人には同じくらい不安そうに見えるのだろう。私は笑いながら話を聞いていたが、私が笑っているのは日本人だからであり、日本人らしいリアクションをしているだけなのだと思った。

*2002年イギリス
ベルリン国際映画祭金熊賞ほか3部門受賞
*上映中

2003-12-04

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『ニール・ヤング武道館公演』 /

ニール・ヤングvsエリック・クラプトン

1945年生まれの2人のギタリストが、来日した。ニール・ヤングエリック・クラプトンである。

ニール・ヤングについては、多くを知らない。だいたい、クラプトンの100分の1くらいしか情報が入ってこないし。2年おきに来日しているクラプトンに対し、ニール・ヤングの単独来日公演は14年ぶり。クラプトンの18公演(11/15~12/13)に対し、ニール・ヤングは4公演(11/10~15)なのであった。

先週、日経新聞の「準・私の履歴書」とでもいうべき「人間発見」というコーナーに、クラプトンのインタビューが連載されていた。彼は去年再婚し、娘が2人生まれたことで「人生で音楽より重要なもの」を手に入れてしまったという。「いま困難な状況に陥っても、昔のようにギターに助けを求める必要はありません。妻や子供たちのもとに帰ればいいんですから」とクラプトンは言うのだった。

一方、ニール・ヤングはいまだに走り続けている。「デッドマン」(1995・ジョニー・デップ主演)の音楽を担当した時には、映像を見ながら即興で2時間ギターを弾き「どこをどうやって使ってもいいから」と監督のジム・ジャームッシュに渡したという。これがもう最高のロードムービー感をかもし出しており、これを超える映画音楽が一体どこにあるだろうか?と痺れたものだった。

そんなニール・ヤングが来日したのである。私は2日目の武道館公演を見に行ったが、まずはその客層に驚いた。こんなに年齢層の高いライブは初めてだし、日本人も外国人も、ふだん街で見かけないようなタイプばかりなのだ。格好なんて気にしないぞって人も多かった。つまりニール・ヤングのような人たちが中心。ライブの見方も真剣でコワイのである。ニール・ヤングもすごいが、客席はもっとすごく、2階席の1番前という素敵な席でずっと座って見ていた私もへとへと。隣にいたカナダ人のおっさんが「お前にわかるんかい?」という感じで時々こちらを見るのもプレッシャーであった。

後半のギタープレイはあまりにもしつこくて、1曲1曲がなかなか終わらなかった。ラストの「ライク・ア・ハリケーン」に至っては、最初の音が出てから曲がちゃんとスタートするまで、10分以上かかっただろうか。長い長い演奏が終わりに近付き、そろそろ終わるかなと思ってから完全に終わるまで、さらに10分引っ張った。

前半は「グリーン・デイル」という架空の町を舞台にしたミュージカル風の構成で、同タイトルのニューアルバムを順番通りに演奏した。内容は、土地と家族をめぐる究極の旅。フォークナーのような中上健次のような浅井健一のような浜田省吾のような世界が、チープにして壮大なステージで繰り広げられるのである。最後はキャスト総出演で踊り、星条旗を振るが、ニール・ヤングはカナディアンだし、911テロ後のチャリティ番組で放送自粛の「イマジン」を歌った人でもある。もう、ぜんぜん誰にも媚びていない。男の子というものは、自分が何のために生まれ、どこへ行き、何を捨て、どうやって死ぬのかを考えるために旅に出たりするものだが、ニール・ヤングはまだ、旅の途中である。

日本語の字幕なんて、もちろんない。彼は延々と英語で語り、延々とギターを弾く。ニール様が発した日本語といえば冒頭の「どうもありがとう」のみ。しかも、ものすごく下手だった。

あとで聞いたところによると、武道館の初日、ニール様は「ライク・ア・ハリケーン」を演奏しなかったという。ブーイングの結果、2日目には仕方なくやることにしたんだろうか。すごすぎだ。孤高のロッカーは生涯現役。ちっとも成熟していなかった。

2003-11-24

amazon(ニール・ヤング / ジャーニーズ)

『復活』 タヴィアーニ兄弟(監督) /

悩みつづける男。変わり身の早い女。

自分のせいで転落してしまった女に思いがけない形で再会し、すべてを投げ打って求婚する男。
はたして身分違いの愛は成立するか?

単純なストーリーだが、3時間7分も、私たちはこの男の苦悩に付き合わされる。彼の悩みは7年前、叔母たちの家の養女カチューシャに欲情したことから始まった。欲情=諸悪の根源。原作者トルストイの究極のテーマである。

かつて欲望に身をまかせ、妊娠させ、見捨てた女が、今は娼婦になり殺人罪に問われている。そのとき、貴族たる男は責任をとろうとするだろうか?理想主義の彼は、するのである。贖罪の思いが政治的ポリシーの揺らぎとリンクし、彼は生き方まで変えてしまう。所有地を農民に分配しようとするがかえって迷惑がられるなど、とんちんかんな貴族の善意は傲慢さにすぎなかったりもするわけだが、それでも彼は、ひたすら償う。

こういうマッチョにしてロマンチックな感性をもちあわせたお坊ちゃまの政治的映画が「東京都知事推薦」というのだから面白い。っていうか、そのまんまだ。

彼の行為は当初、愛ではなく偽善として描かれる。だが、自己満足や見栄や憐れみや支配欲や意地が介入しない愛などあるだろうか。結局のところ、愛とは行動なのだ。この映画の長さは、このことを描くためにある。女の気持ちを理解できない男は、偽善を恐れず、とりあえず行動してみるしかない。どこからどこまでが女の演技なのか、どういうときに強引に奪えばいいのか、どういうときに優しくすればいいのか、何がセクハラで何が女を傷つけるかなんて永遠にわかるはずがないのだから、ひたすら実直に行動し続けるしかないのである。

ラスト、彼女を失ったシベリアの地で呆然としている彼は、新世紀を迎える農民たちのパーティーの中でも完全に浮いている。目的を失い、ふぬけになった彼が「あなたの願いごとは何?」と聞かれて何と答えるのか、私は固唾をのんで見守った。

男女の関係は、変化しながら一生続いてゆくのだから、その力関係を近視眼的に判断してはつまらない。とはいえ、そこに普遍的なパターンが存在することは明らかである。

(女)愛する→傷つけられる→転落する→見返してやる→ふっきれる→再び上昇する
(男)欲情する→傷つける→ばちがあたる→転落する→反省・執着する→低空飛行つづく

男の低空飛行にスポットを当てた映画が多いのは、映画監督や原作者のほとんどが「悩める男」だからだ。そもそもトルストイは、この作品を何度も書き換え、十年もいじり続けたらしい。原作自体が、男の悩みの究極の軌跡なのである。

*2001年イタリア映画/上映中
モスクワ国際映画祭グランプリ

2003-11-09

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『第50回 ヴェネチア・ビエンナーレ(la Biennale di Venezia)』 /

モテる日本。モテない日本。

ある種の美術展はストレスの宝庫だ。並ばなきゃダメ。静かにしなきゃダメ。さわっちゃダメ。写真はダメ。はみ出ちゃダメ。逆行しちゃダメ。その点、2年に1度開かれる最も歴史の古い国際現代美術展「ヴェネチア・ビエンナーレ」は楽園だった。

メイン会場の「ジャルディーニ」には、各国のパビリオンが別荘のように点在している。最も古い建物はベルギー館で1907年、シックな日本館は1956年に完成した。ゆっくり散歩しながらハード(建物)とソフト(作品)のセットで「お国柄」を体験できるのが楽しい。

ポップな目立ち方をしていたのがオーストラリア館(byパトリシア・ピッチニーニ)のグロテスクな肉の塊やリアルな人形たち。フォトジェニックな不気味さに、思わず写真を撮りまくってしまう。

イスラエル館(by マイケル・ロヴナー)も大人気で、CGを使わずに群集の動きだけでパワフルな映像作品を見せていた。壁面やシャーレにうようよする膨大な数の細菌はすべて人間なのだ。ひとつのテーマへのアプローチのしつこさに圧倒された。

ドイツ館(マーティン・キッペンベルガー他)の主役は通風孔のインスタレーション。地下鉄が7分おきに轟音をたてて下を通り、ふわーっと風が巻き起こる。笑えた。

スペイン館(byサンチャゴ・シエラ)の内部は廃墟。裏へまわるとドアが開いているが係員に「スパニッシュ オンリー!」とシャットアウトされてしまう。凝った演出だ。

そして、本当に閉ざされていたのがベネズエラ館。作品が検閲に引っかかり「棄権」となったらしい。

ただし「ジャルディーニ」にパビリオンを持つ国は29のみ。その他の約30の参加国は、市内各所の建物を借りた展示だから、迷路のようなヴェネチアの街を歩き回らなければならない。今回「金獅子賞」をとったのは、非常にわかりにくい場所にあるルクセンブルグ館(by スー=メイ・ツェ)だった。壁一面に防音スポンジが敷き詰められた部屋、運河に面して椅子とテーブルと赤い編み糸が配された部屋、砂時計が回転している部屋、砂漠の砂を延々と掃き続ける男たちの映像の部屋、緑あふれる大自然の崖っぷちでこだまと対話するように優雅にチェロを弾く女性の映像の部屋。どの部屋にもおやじギャグに似た不毛な空気が漂い、意味の追求とは正反対の引力が心地よい。タイトルは「air condition」。歩き疲れたあとに、こういう脱力系の展示はありがたかった。

日本館(by曽根裕・小谷元彦)は地味だった。アジアでパビリオンを持っているのは日本と韓国だけなのに、どちらも観客が少なくて寂しい。予算も少ないみたいだ。別会場では国という枠を取り払ったいくつもの企画展がおこなわれており、ルイ・ヴィトンや六本木ヒルズとのコラボレーションで夢を実現できたという村上隆が圧倒的に目立っていたし、総合ディレクターの目にとまり白羽の矢が立った土屋信子という無名の日本人アーティストが出品したりもしていたのだけど。

キュレーションの鍵を握るのはプロデュース力であり、日本館の作家はかわいそうだったと村上隆は言う。
「お金のことって、アート界ではことさら批判の対象になるけれど、その流れをいちど全面肯定することでぼくは、構造そのものの鎌首にナイフを突きつけたいんです。(中略)アートとは欲望なんです、約めていえば。所有欲とか権力欲とか、エグゼクティヴになりたいとか、もてたいとか、尊敬されたいとか、わかってほしいとか。日本のアーティスト自体に強烈な欲望がないっていうのが問題ですね」(美術手帖2003/9より)

*ヴェネチアで開催中(6/15~11/2まで)

2003-10-19

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『デッドエンドの思い出』 よしもとばなな / 文藝春秋

よしもとばななが愛される5つの理由。

「私はばかみたいで、この小説集に関しては泣かずにゲラを見ることができなかったですが、その涙は心の奥底のつらさをちょっと消してくれた気がします」(「あとがき」より)
泣きながら自分の小説のゲラを見るよしもとばななは、うっとりと鏡の中の自分に見入る松浦亜弥と同じくらい信用できる。本人が没頭できるというのは、何よりの品質保証だ。

「この短編集は私にとって『どうして自分は今、自分のいちばん苦手でつらいことを書いているのだろう?』と思わせられながら書いたものです」(「あとがき」より)
つらいことを美しく書き、苦手な人に美しい理解を示す。それは運命を支配することだ。言い換えれば、他者を勝手に美化するエゴイズム。でも、その作業をていねいにやっていけば傲慢ではなくなるはず。「あったかくなんかない」という小説には、その秘訣が明かされている。

「ものごとを深いところまで見ようということと、ものごとを自分なりの解釈で見ようとするのは全然違う。自分の解釈とか、嫌悪感とか、感想とか、いろいろなことがどんどんわいてくるけれど、それをなるべくとどめないようにして、どんどん深くに入っていく。そうするといつしか最後の景色にたどりつく。もうどうやっても動かない、そのできごとの最後の景色だ」(「あったかくなんかない」より)

「あったかくなんかない」は、反抗的な小説。
まことくんが抱く「明かりはあったかくない」という考えは、あまのじゃくだけど素直。人生における幸せの時間は、思いがけない瞬間に現れる。頑張って手に入れるものではなく、さりげなく曖昧なものだ。そういう時間がもてれば、家族が多いほうが幸せってこともないし、長生きが幸せってこともないし、孫の顔をみるのが幸せってこともない。決められた概念を手に入れるだけの人生は貧しすぎる。

「幽霊の家」は、保守的な小説。
若さゆえの残酷な別れ、SEXの悲しみと幸せ、タイミングの重要性、親から受け継ぐものの価値、長く続けることの意味。主人公のように本質的な生き方をしていれば、日々のちょっとした傷なんて簡単に癒えてしまいそうだ。唯一無二の運命を描きつつ、選択肢はひとつじゃないという小説。相手は誰だっていいんだといわんばかりに、流れに任せて生きる人が幸せをつかむのだ。この作品自体が「幽霊」のような幻想だと思う。

「おかあさーん!」は、ウソっぽい小説。
私たちは、かつて自分を傷つけた人、自分とうまくいかなかった人のことをどう考え、どう克服していけばいいのか。物理的な解決策ではく、普遍的な希望が提示される。つまりフィクションの効能。汚れた現実世界を救うのは「美しいウソ」なのである。

「ともちゃんの幸せ」は、ふてぶてしい小説。
感じる人は生きづらく、傷つく人は損をする。神様は、弱者に対して何もしてくれやしない。不確かで力をもたない祈りのような小説だが圧倒的。傷ついた心は、他人と共有したり、ぶつけあったりせず、ただひっそりと受け止め、こつこつと貯金すればいいのだ。

「デッドエンドの思い出」は、取り返しのつかない小説。
最後の3行だけで泣ける。泣けば他人にやさしくなれるか?そんなことは断じてない。自分も幸せになろうと思うだけだ。ますますエゴイスティックに。
著者は、この小説が「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです」といい、「これが書けたので、小説家になってよかったと思いました」とまでいう。世に出る前に、少なくとも1人を救った作品。何よりの品質保証だ。

2003-10-14

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