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『JMM(Japan Mail Media)9/18号(No.132 )』 村上龍(編集) /

対岸の火事。

結局のところ、家族や特別な人や自分自身が被害にあわない限り、それは対岸の火事である。
どこかで大震災があっても、歌舞伎町で火災があっても、近所で殺人事件があっても、そういう意味では同じなのだ。なのに、NYのテロ事件だけが、リアル?

非常に多くの人が、他人ごとではないというある種の親近感を込めながら、ハリウッド映画やトム・クランシーの小説や日々の生活に酷似した、あの事件を語っている。NYの友人が言う。「ビル崩壊後の映像には、SF的な美しさもあった。荒れ果てたパレスチナの映像とは何かが根本的に違っていた。単に見る方の感情移入の違いなのか」

悲惨さや理不尽さは、いつの瞬間も世界中にあふれているのに。どこの国の誰が被害者であっても同じはずなのに。今のところアメリカは強く、ハリウッド映画の動員数は膨大なのだ。

岸を隔てた議論は、切実さと決め手に欠ける。だが、事件についていろんなことを言い、好き勝手に考えることは、当事者ではない者のさしあたっての役割だろう。

「JMM」(http://ryumurakami.com/jmm)の臨時増刊号は、ワシントンを中心とした海外のシンクタンクで働く日本人ネットワークPRANJらによる緊急レポートを掲載していた。

「対岸の火事」という見方は大きな間違いではないかと警告するのは、ESI経済戦略研究所の研究員、村上博美氏。
日本が中立の立場をとるならば、日米安保を解消し、G7から脱退するぐらいの決意をもたなくてはならないし、外交政策として現状維持をとるならば、テロリストのターゲットとなることを覚悟しなくてはならないのだ。日本の経済・社会機能が壊滅的なダメージを受けるであろうテロの例は3つ。
1「首都圏や福井県の密集した原発群への爆弾テロ」
2「化学兵器(サリン等)によるテロ」
3「生物兵器(細菌、ウイルス)によるテロ」
「軍事報復ということになれば、報復合戦の悪循環に陥り第3次世界大戦につき進む可能性があります。仮にテロリストからの再報復で国際条約で禁止されている生物兵器が使われ、生物兵器の報復合戦にでもなれば、第3次世界大戦の終結は人類の滅亡によってもたらされるかもしれません」

イスラム過激派は多様で、必ずしも「反米」がテロ行為の主目的とはみなされ得ないケースも多いと指摘するのは、CFR外交問題評議会の研究員、古川勝久氏。
パレスチナ過激派ハマスの場合、テロ攻撃の目的は、「反米」「反イスラエル」というよりも、むしろ「反資本主義」や「反グローバライゼーション」に近く、パレスチナ過激派がイスラエル国内で選んだ自爆テロのターゲットも、ショッピング・モール、洋風飲食店、ディスコなどが多く、ユダヤ教あるいはイスラエルのシンボルと見なされる場所が選定されたことは、ほとんどなかった。
「タリバン派の場合、国も文化も宗教も問わず、あらゆる国々に対して極めて広範囲にテロ攻撃を行ってきた。『反米主義』の立場を表明する中国、ロシア、そしてイスラム諸国のサウジアラビア、イラン、パキスタンなどさえもが、過激派によるテロ攻撃に長年悩まされ続けてきたのである」

「対岸の火事ではない」という説得は、岸を隔てた人間を「当事者」という新たな次元に連れていく。それは、大地震がいつ起きるかわからないし、人間なんていつ死ぬかわからないといった漠然とした不安とは明らかに異なる。阻止できる可能性がゼロではない事件の当事者になるという、重責をともなった危機だ。

2001-09-18

2018年文庫本ベスト10

●オールド・テロリスト(村上龍)文春文庫

●億男(川村元気)文春文庫

●誰かが嘘をついている(カレン・M・マクマナス/服部京子)創元推理文庫

●ロゴスの市(乙川優三郎)徳間文庫

●無名時代(阿久悠)集英社文庫

●食の王様(開高健)ハルキ文庫

●天才はあきらめた(山里涼太)朝日文庫

●ウドウロク(有働由美子)新潮文庫

●日本百名宿(柏井壽)光文社知恵の森文庫

●座右の古典(鎌田浩毅)ちくま文庫

2018-12-31

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『ジニのパズル』崔実(チェ・シル)
『コンビニ人間』(村田沙耶香 )

芥川賞は、とっても、とらなくてもいい。

ジニは日本生まれの韓国人。18歳の勝ち気な女の子だ。中学から朝鮮学校に通い「世界からたらい回しにされるように、東京、ハワイ州、そしてオレゴン州と巡りめぐって来た」。
そんな彼女に、ホームステイ先のおばさん、ステファニーは言う。
「あなた、ここに来る前に何かあったのかしら」
「あなたは、とても哀しい目をしているわ」

ジニがステファニーに、日本でのできことの概要を話すと、ステファニーは言い切る。
「それが事実だとしたら、あなたはいつか絶対に話さなければならないわ。たとえそれが私でなくても、誰かには、絶対によ」

ジニは、記憶の断片を綴り始める。
「いつか誰かが言っていた。よく笑う人間は、沢山傷付いた人だと。心から優しい人間は、本当に深い傷を負った人なのだと。でも、と私は考える。沢山傷付いた人間が、数え切れないほどの人たちを自分以上に傷付けてきた場合、それは果たして優しいと言えるのだろうか? 自分の傷を言い訳に、よりによって最も大切な人たちを、傷付け、騙し、欺き、追いやり、日の当たらぬ闇の底へ ー 自ら這いつくばって抜け出すしかない奥底まで突き落とした人間。それが私だ。これは、そんな私の物語なのだ」

未知のエネルギーをもてあまし、世界と対峙する革命志向の少女は、がむしゃらに言葉を発し、行動を起こす。洗練とは真逆の荒削りさの中に、時折、内臓から絞り出されたような鮮烈な表現が飛び出す。

この小説は、芥川賞候補になったが、選ばれずに次点となった。芥川賞に決まったのは、画一的な世間の常識から浮いてしまう「36歳、恋愛経験なし、コンビニバイト18年目」の女性を描いた『コンビニ人間』。どちらも圧倒的な熱量を秘めた作品で、まるで村上春樹と村上龍が一度に登場したかのよう。実際、審査員の村上龍は『コンビニ人間』を絶賛していた。
村上春樹は、芥川賞をとっていない。選にもれた『ジニのパズル』は、村上春樹の『風の歌を聴け』やアゴタ・クリストフの『悪童日記』みたいに多言語に翻訳され、世界で読まれてほしい。日本ではたぶん、評価が難しいだろうから。

世の中に解決不能な問題が山積みなのは、それでも次々と新しい命が生まれるのは、このような小説が書かれるためなのではないか? せめて、そんなふうに思いたい。
 
今月24日、イタリア中部地震が発生した日、イタリアの作家ロベルト・サビアーノは村上春樹の阪神大震災にまつわる短編集『神の子どもたちはみな踊る』の一節をツイートしていた。
「石はいつか崩れ落ちるかもしれない」「でも心は崩れません」「どこまでも伝えあうことができるのです」Sul terremoto di Kobe Murakami scrisse che la pietra va in frantumi ma il cuore no e aiutando “possiamo trasmetterlo gli uni agli altri”.

2016-8-31

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『この手であなたを癒したい』 高橋光 / 同朋社(発行) 角川書店(発売)

疲れた男たちを通わせる、究極のサービスとは?

歯科医や眼科には、できれば行きたくない。苦痛のイメージが強いからだ。
でも、耳鼻科になら通ってもいいかなと思う。

中耳炎になり、耳を洗浄してもらったことがある。その医者のテクニックはすごくて、こんなに気持ちいいことがあるのか、と衝撃を受けた。だけど、私はその耳鼻科に通うことはなかった。だって、中耳炎はすぐ治っちゃったから。医者というのはエステやマッサージじゃないんだから、もう大丈夫ですよといわれれば通う理由がない。むしろ出入り禁止である。

しかし、もはやそのことを嘆く必要はない。耳鼻科のいいとこ取りのようなサービスが受けられるサロン「レスプランディール ドゥ ボヌール」が6月末、南青山にオープンしたのだ。ヘアカット、ネイル、メイク、メンズエステスパ、レディースエステスパなどを提供するトータルビューティサロンだが、最大の売りは「イヤークリーンコース(耳そうじ)8,400」。なぜなら、この店のオーナーは、本書の著者である「日本一指名の多い女性理容師」高橋光さんなのだから。

彼女は、床屋さんでの下積みを経て、世界各地のエステサロンを訪ね、理容師だけが与えることのできる究極の癒しを研究。ホテルセンチュリーハイアットの理容室「デボネール」の店主となり、フォーシーズンズホテルの理容室の店長も兼任。2001年に発行された本書の帯コピーは、長年の顧客である村上龍が書いている。

男の楽園、理容室での究極のサービスが、いよいよ女性にも開放されたのである。耳鼻科医は耳の洗浄ができるが、耳のうぶ毛剃りが許されているのは国家資格をもった理容師だけ。私はさっそく70分のイヤークリーンコースを体験したみたが、うーん、この快感は音楽に似ているなと思った。リズムと音と温度のハーモニー。冷たい飲み物を飲みながら、好きな音をipodで聴けば、疲れなんて一瞬で吹き飛ぶのと同じ。快楽の源泉が、ダイレクトに脳に流れこむのだ。

熱い蒸しタオル、シャリシャリという音がくすぐったい耳のうぶ毛剃り、何をどうされているのかほとんどわからない耳かき、やわらかい羽毛のぼん天、シュワシュワとはじける発泡ローション・・・他にもいろいろあったと思うが、ベッドに仰向けだから、ほとんど熟睡状態。冷たい飲み物が前後にサービスされ、1階のヘアサロンでブロー&セットしてもらえたのが嬉しかった。

本書を読むと、サービスする側の思いがわかり、さらに驚く。「わざと痒さを残すように、ときには痒さを増すように耳掻きを動かしていきます」とか、「鼓膜のすぐ手前の部分が、実に四肢がのけ反るほどのエクスタシーに達することができる、たったひとつの場所なのです」とか。彼女のテクニックで、失禁する人もいるというのだ。

手書きのDMを書かない理由、やきもちを焼くおじさまへの対処法、極道のお客さまとの交流、ホテルの部屋に連れ込まれたときにどうするか、「僕はもう長くないんだよ」と言われたときの切り返し方など、営業テクも満載。80代なのに青年のように若々しい宗教団体の教祖から、理容室の椅子で眠ったまま脳溢血で死んじゃった人まで、そこに通う男たちのエピソードを読んでいると、まるで銀座のママの話を聞いているみたい。要は、とっても古風なのである。

最大の山場は、金銭がらみで男に騙されるくだりだろう。「騙されることで人を癒すこともできる」と言い切る楽観的プロフェッショナリズムは、ぜったい真似できません。

2005-08-12

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『グランド・フィナーレ』 阿部和重 / 講談社

世界を救うかもしれないメルヘン。

芥川賞の選評を読んだら「小説としての怖さがどこにもない」と石原慎太郎。「作品にリアルな怖さがない」「肝心な部分が書かれていない中途半端な小説」と村上龍
だが、この小説はそもそも怖いモチーフを扱ったものなのだろうか?

普通に生きているのに、いつのまにか、ぎりぎりの場所を歩かされてしまっている。そういう主観と客観のずれを描いた小説だと思う。主人公は自分のことを正常と開き直っているわけでもなく、異常という劣等感にさいなまされているわけでもなく、特別な優越感を抱いているわけでもない。非常にまともな感覚をもっている印象だ。ナルシシズムとは無縁の知的なイノセンスは、それだけで読むに値する。次第に明らかになる主人公のプロフィールを、友達になっていく気分で読み進めることができるのだ。

実際、主人公の友だちは皆すばらしい。冷たくも温かくもなく、そのまんまだ。思ったことはズケズケ言うが、裁かない。感動的なことを言わないし、彼を本質的に助けたりもしない。普通に鈍感で、普通に信用できる。あんまり頼りにならないけど安心できる。これこそが友だちってものの理想的な距離感かも。こんな友達がいるだけで、主人公はきっと大丈夫なはずなのだ。

ロリコンという言葉は、主人公を説明するための後付けのタームにすぎない。この小説はとても親切な構造になっていて、主観的な描写のあとで、必ず客観的な説明がなされるのだ。カメラで世の中を趣味的に切り取っていた主人公は、ふとしたきっかけから脚本・演出によって世の中を動かし始めるのだが、そのことは、こんなふうに説明される。

「カメラを手にしなくなったわたしは、言葉のみを使いこなして現実に介入しなくてはならない難儀な場所へと辿り着いてしまった。果たしてわたしはこの難関を、乗り切ることが出来るのだろうか」

犯罪的行為の受け取られ方というのは、千差万別だと思う。世間は騒ぐかもしれないが、友達は聞き流すだけかもしれない。親友であれば同情するかもしれないし、後輩なら武勇伝ととらえるかもしれない。妻にしてみれば耐え難い苦痛かもしれないし、当事者である幼い娘は傷ついて死ぬかもしれない。

ロリコンとは子供を愛することの対極ではなく、延長なのだというのが、この小説の重要なメッセージだ。ロリコン的嗜好は子供を傷つけることもあるだろうが、子供を救う可能性もあるのだということ。世界のある部分とディープに関わってしまうマニアックな人がどう生きていけばいいかのヒントを与えてくれる。

以前、クライアントであるIT関連の会社社長が、一心不乱にパソコンに向かう社員の一部を指さして私にこう言った。「こいつらには社会性はないんだけどね。役に立つから飼ってるんだよ」。

パソコンマニアの一部がハッカーになり、印刷技術の進歩が偽札づくりを助長し、クローン技術の追求が生命のモラルをおびやかし、学校の先生が子供を愛することの延長にも犯罪がある。すべてのプロフェッショナリズムは、違法な行為につながる可能性を秘めているのかもしれない。

主人公は故郷に帰り、2人の少女と出会う。
「二人そろって頷いてみせた―その肯定の身振りの力強さが、わたしをますます脱力させて、仄かにときめかせた」

脱力し、仄かにときめく。なんと小さな手がかりだろう。世界とつながるための、あまりに弱々しすぎるモチベーション。でも、この繊細な手がかりが重要なのだ。このメルヘンこそが、世界を救うグランド・フィナーレの鍵になるかもしれないのだ。

強さのみを志向する人には、世の中を救えない時代になった。

2005-03-11

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