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『本田靖春集2 ― 私戦/私のなかの朝鮮人』 本田靖春 / 旬報社

差別なんて、いつの話だよ?

9月1日朝5時。仕事を終えて帰ろうとしたら、表参道から青山通りにかけてL字型に長い行列ができていた。
今日はルイ・ヴィトン表参道店のオープンの日だということに間もなく気づく。開店6時間前なのに、行列は数百メートル続いていたのだ。既存の店舗でも、ふだん「1人3個まで」とか店内に書かれているくらいだから、今日は間違いなく「1人1個まで」なんだろうな、と思った。そうでなければ、半日で商品がなくなってしまう!

マーク・ジェイコブズがデザインするルイ・ヴィトンの服は、とても可愛いと思う。が、値段はちっとも可愛くない。たとえば、カシミヤ使いのレインコートが¥298,000というのはわかるにしても、ピーコートが180,000というのはいかがなものか。10分の1以下で本物(軍モノ)が買えるじゃないか。

世界先行発売の時計が目当てなのか、男性の姿も多く「日本人はブランド好き」という月並みな言葉が思い起こされた。だが、並んでいるのは本当に日本人ばかりだろうか? 日本に住んでいるのは日本人だけではないのに「ブランドに群がるのは日本人」と何となく思い込んでしまう。悪い癖だ。

本書は、在日韓国・朝鮮人に対する差別問題と向き合った2編だ。

「私戦」は、1968年冬の「金嬉老(きんきろう)事件」(在日韓国人二世コン・ヒロが、差別発言をした警察への謝罪などを求め寸又峡温泉の旅館に13人を人質に立てこもった事件)を追い「金嬉老事件の重大さは、在日朝鮮人の懸命の訴えを、権力とマスコミが呼応して葬り去り、差別と抑圧の構造を最悪の形で温存することに成功した点にある」と結論づける。

「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮で生まれた日本人、つまり、かつての支配者としての植民地二世である著者が、自らの体験をもとに贖罪意識や差別感情の根を掘り起こす。

「”あなた日本語お上手ですね。顔も全然わからない。私は、日本人だとばっかり思っていました”。そういう言い方が、実は朝鮮人に対して、たいへんに失礼だということに日本人は気づいていない。日本人とそっくりの顔をして、日本人と同じに日本語をしゃべるというのは、お世辞のつもりだろうけど、そんな失礼なことはない。いったいそれじゃ、朝鮮人は対等な仲間じゃないとでもいうのだろうか」(「私のなかの朝鮮人」より)

難しいのは、日本人と思われたい人もいるし、思われたくない人もいるという事実だ。帰化した人が同胞から非難されたり、在日の人がソウル生まれの同胞から差別されたりという実例を読むと、「日本人vs在日韓国・朝鮮人」という単純な図式ではとうてい語り得ないことがよくわかる。

著者は、ある一家の歴史を取材し、思い悩んだ上で克明に記す。その悲惨な描写が新たな差別感情を誘発する可能性は大きい。在日韓国・朝鮮人の中にも、このような話が公になることを迷惑だと感じる人もいるだろう。

「私の中の朝鮮人」が書かれてから、既に28年が経過している。当時とは世代が入れ替わり、人々の意識はずいぶん変化したようにも思われるが、本当にそうだろうか。「差別なんて、いつの話だよ?」と笑って済ますことができるのは、国籍を問わず「被害を受けていない人」だけなのだと思う。過去を蒸し返すことを好まないのは、いつだって加害者だ。

コン・ヒロの手帳にはこう記されていた。

「世界の平和!これは何んと素晴らしいことだろう。出来れば俺もその平和の中に住んで見たい。平等で偽りも裏切りも殺し合いもない、真の平和な世界があるならば…。俺はそんな世界がこの地球のどこかにあるように思えるが、悲しい事に、それをまだ見た事がない」(「私戦」より)

2002-09-03

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DREAM―RUMIKO流 夢の持ち方、叶え方』 RUMIKO / マガジンハウス

くちびるに刻印されたシミュレーショニズム。

「恐れることはない。とにかく『盗め』。世界はそれを手当り次第にサンプリングし、ずたずたにカットアップし、飽くことなくリミックスするために転がっている素材のようなものだ」
(椹木野衣「シミュレーショニズム」洋泉社1991)

そんな時代から10年以上が経過した今も、サンプリングやカットアップやリミックス、あるいは盗作やコピーやまねっこは、ますます加速しているように見える。そこには歴史的な概念がなく「もと」をたどることに意味がない。ピカビア横尾忠則は同列で、ビートルズ奥田民夫も同列なのだ。

先日、代官山の某ショップに「穴空き部分とヒップポケット部分にヴィトンのモノグラムがついたusedのリーバイス501」があるという情報を得た。浜崎あゆみがデニム持込でオーダーしたものと同デザインで、グッチバージョンもあるという。これって一体何なのか? 「リーバイス」「リーバイス501をusedにした人」「ルイヴィトン」「浜崎あゆみ」「ショップのデザイナー」の5者コラボレーション作品?

7月16日付けの「i-critique」で浅田彰は、江國香織が「心に響いたこの1行」(週刊新潮7/18号)でモームの「お菓子と麦酒」(新潮文庫)を引用したことについて書いていた。浅田彰は、江國香織のフランス語のルビの間違いとともに、その1行が実はマラルメの有名なソネットの出だしの1行であることを指摘。「少なくともこれがマラルメの引用であることぐらいは知っていないと、そもそもモームの意図の理解さえおぼつかないだろう。その程度の初歩的な知識もない人間、あえて反時代的なポーズとしてモームの古臭い小説を取り上げるというより、その『小説の力』に素直に感動してしまうような人間が、『作家』として通用してしまい、その文章が、センター試験の国語の問題に出てしまう。現在のわれわれの文化は、そんな末期的状況にあるのだ」と結んでいる。

モームがマラルメを引用し、それを江國香織が「モームのオリジナル文」として紹介する。
あゆがリーバイスとヴィトンを引用し、それをショップが「あゆデザイン」として売る。
この2つ、似てない? 現代は、フットワークの軽いDJがアーティストと呼ばれる時代なのである。

さて、RUMIKOは、化粧品業界のDJというべきメイクアップ アーティストだ。彼女のオリジナルブランド「RMK」は、世界の化粧品のリミックスであるように見える。そして、そのことが、女の子の気持ちをぐっとつかむ。モデル撮影に立ち会う時など、ヘアメイクの人のメイクボックスを覗くと、RMKの化粧品が入っている率は相当高い。

NYでいかに自分を売り込んだか、どんなカメラマンと仕事をしてきたかという話よりも、彼女が高校時代、ツイギーの仮装をするために、つけまつ毛を手作りしたという話が印象的だ。メイクアップアドバイスのページも、身近なお姉さんの提案のようなときめきがある。料理のレシピでいえば「今日つくってみよう」と思わせてしまうセンス。

本書の初版本(¥1,300)には「限定リップグロス交換券」がついている。RMKのショップで私にそれを手渡してくれたスタッフは、とても嬉しそうで、私はRUMIKOファンから贈り物を受け取った気分になった。

リップグロスの容器には「Kiss」とあるのみでRMKのロゴがない。もしもこれがシャネルの限定リップグロスなら、シャネルのロゴは不可欠なはずで、少なくともロゴがなければファンは納得しないだろう。私は、唇の形にデザインされたリップグロスを自分の唇にコピーしながら、RUMIKOはやはりDJなのだ、と思った。

2002-07-22

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