2023年洋画ベスト10

●栗の森のものがたり(グレゴール・ボジッチ)

●コンパートメントNo.6(ユホ・クオスマネン)

●青いカフタンの仕立て屋(マルヤム・トウザニ)

●ヨーロッパ新世紀(クリスティアン・ムンジウ)

●シチリア・サマー(ジュゼッペ・フィオーレロ)

●ノスタルジア(マリオ・マルトーネ)

●旅するローマ教皇(ジャンフランコ・ロッシ)

●マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説(サディ・フロスト)

●エンパイア・オブ・ライト(サム・メンデス)

●ビリー・アイリッシュ「ハピアー・ザン・エヴァー・ライブ〜O2アリーナ エクステンデット・カット〜」(サム・レンチ)

2022-12-30

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2023年邦画ベスト10

●白鍵と黒鍵の間に(冨永昌敬)

●窓辺にて(今泉力哉)

●市子(戸田彬弘)

●ある男(石川慶)

●ちょっと思い出しただけ(松居大悟)

●こいびとのみつけかた(前田弘二)

●OUT(品川ヒロシ)

●コーポ・ア・コーポ(仁同正明)

●花腐し(荒井晴彦)

●YOSHIKI:UNDER THE SKY(YOSHIKI)

2022-12-30

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『栗の森のものがたり』グレゴール・ボジッチ(監督)

人生はつねにうっすらと冗談であることが大事だ。それが、逆説的に、世界に対して真面目だということである。― 千葉雅也

映画館はレストラン街のようだ。安心して食べられそうなメニューの数々がラインアップされているが、ときには、突拍子もないクオリティのローカル料理が出てくることもある。

『栗の森のものがたり』は、1984年スロヴェニア生まれの監督が2019年に発表した長編デビュー作で、スロヴェニア国際映画祭で最優秀作品賞を含む11冠に輝いた。1991年に旧ユーゴスラビアから独立したスロヴェニアは、形も大きさも四国に似ているが、4つの国と接しており国土の3/4が森だ。映画の舞台は北イタリアとの国境地帯で、栗の森に囲まれた1950年代の小さな村。監督は「忘れられた土地の遠い記憶を呼び起こす寓話のような物語を描きたかった」と言う。

「しみったれの大工 マリオ」「最後の栗売り マルタ」「帰らぬ息子 ジェルマーノ」の3部構成。貧しく希望のない村の状況がわかるタイトルだが、全シーンがバロック絵画みたいな凝りに凝った美しさであることに驚く。静謐だがぶっ飛んでおり、心地よいまどろみの中にコミカルな要素が紛れ、時系列が乱れる。しまいには、不在の息子が両親の物語を話し始めるのだから油断できない。現実と異世界の境界を溶かし、メビウスの帯に凝縮したような82分間だ。

大工のマリオは高齢で、ギャンブルでイカサマをされたり、死にそうな妻を連れて行った医者から冷たい対応を受けたり、ろくなことがない。彼のノートには赤字続きの収支や、さまざまな棺桶の設計図がある。眠っている妻の上から棺桶のサイズを計るマリオと、最後まで夫に悪態をつく妻。つまりこれは、ちっともいい話じゃない。感傷に流されないハードボイルドなメルヘンなのである。

マリオの人生のクライマックスは、栗売りのマルタが川に流してしまった栗を一緒に拾い上げること。マルタは靴が濡れたマリオを家に入れ、ストーブをつけ、珈琲を入れ、食事を出し、食後酒までふるまうが、一連のそっけないもてなしと、盛り上がらない会話が素晴らしい。マリオがルネサンス様式の家具に注目し、高く売れるよと言っても彼女は興味を示さないし、マルタがお伽噺を話してと言っても、彼は思い出すことができない。戦争から帰らぬ夫を想うマルタは「ここは忘れ去られた土地。未来はない」と言い切る。マリオは人生を精算しようとしているが、マルタの人生はまだこれからなのだ。

ついに旅立つマルタが、海を背景に歩く姿が映し出される。スロヴェニアには、アドリア海に面したわずかな海岸線があるのだった。おそらく夫のいる南半球のオーストラリアへ向かうのだろう。「何世紀も政治的不安定な時期があり、移住の盛んな地域です。この地の個性を、映画を通して伝えようと思いました」と監督は言う。

ドナルド・トランプの3人目の妻となったメラニア夫人もスロヴェニア出身である。ユーゴスラビア内戦後の1996年に故郷を離れ、就労ビザで米国に入りモデルの仕事をし、パーティでトランプと出会った。2006年にバロン君を出産し、米国籍を取得。自身が移民であることから夫の移民政策を批判し、2018年には彼女の両親も米国籍を取得した。

そんなことを思い出したのは、映画の中でマルタが着ていた水色のカーディガンが、2017年の大統領就任式でメラニア夫人が着ていたラルフローレンのドレスと同じ色に見えたからだ。スロヴェニアの海の色でもあるかもしれない。

2023-11-8

『最愛の』上田岳弘

2人の人間がそれぞれ自分勝手な幻想を持ち寄って、それを魂をかけて破壊し合い、自分が再構築されるというのが、これ即ちみんなの憧れる大恋愛である。― 鈴木涼美

上田岳弘のデビュー10周年記念作品『最愛の』(集英社)を読みながら思い出したのは、渋谷スクランブルスクエア39Fのweworkで自由に飲めるビール(ヒューガルデン・ホワイトの生など!)のおいしさだ。続いて思い出したのは2つの言葉で、ひとつは、Tinderの今年の広告キャッチフレーズ「愛は他人と。」(by児島玲子)。もうひとつは、マイリー・サイラスの今年のメガヒット曲『flowers』の歌詞「I can love me better than you can」(私はあなたよりも私を愛せる)である。

主人公は、外資系の通信機器メーカーに勤め、「血も涙もない的確な現代人」として振る舞う38歳で独身の久島(くどう)。彼は、友人の示唆を受けて「自分だけの文章」を書き始め、中学校の同級生だった望未(のぞみ)を思い出す。ふたりは大学卒業間際まで文通をしており、彼女は手紙の始まりに必ず「最愛の」という中途半端な言葉を書いていた―。

つまりこれは追憶型の恋愛小説であり、風変わりな手紙の謎を解くサスペンス小説でもあるのだが、わかりやすいカタルシスが得られるわけじゃない。おとぎ話めいた世界とゲーム的な現実世界を行き来する久島に、さまざまな男や女がさまざまな形で近づき、重なり合い、遠ざかっていく。あとに残るのは、冷たい忘却の感触だ。私たちは、「最愛の」に続く大切な言葉を簡単に忘れてしまえるほど悲しい存在なのだろうか?

だけど一方では、追憶よりも、冷たい未来のほうに可能性があることもわかる。永遠につながる手触りを求めるなら、選択肢は未来にしかない。どこにいるかわからない人や、顔も知らない人とコミュニケーションをとることが普通にできてしまう今、わずかな勘違いがありえない奇跡を生み出す可能性は、あらゆる意味で飛躍的に増大しているような気もするし。そうしているうちに私たちは、圧倒的な記憶の彼方にまで手が届くようになるかもしれない。

現代のパートで印象に残るのは、コロナ禍のリモートワークとプライベートライフだ。ノートPC、Xperia、Zoom、LINE、Slackなど、日常的なツールによるコミュニケーションの手順やマナーが、こんなに愛おしいものだったのかと思えるくらいポジティブかつ繊細に記録されている。

追憶のパートで印象に残るのは、大学生の久島と望未が、中野駅前の図書館で待ち合わせ、公園でビールを飲み、手持ち花火をし、とりとめのない会話をした日のこと。その後、自分の部屋に戻った久島は、NirvanaとRadioheadのCDを聴きながら望未のことを考える。一筋縄では行かないふたりの歴史の中に、やさしくて可愛らしくて笑いもある完璧なデートの日があったことを忘れたくなくて、血も涙もない的確な現代人になりそうな私は、221ページから235ページまでを何度も読み返す。

2023-9-19

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『ソール・ライターの原点 ニューヨークの色』
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷ヒカリエホール)

自分にとって大事なことを他人と共有せず堂々と過ごしていれば人生は大丈夫だ。ー 乗代雄介

2010年から2011年にかけて撮影された映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』は、2015年日本で初公開された。晩年のソール・ライターの地味な暮らしぶりがわかるドキュメンタリーで、日本語字幕を担当した柴田元幸氏も「基本的には、猫背のおじいさんがのそのそ動きながらもごもご喋っている映画」と書いていたが、猫背のおじいさんが撮る写真はみずみずしく、もごもごの内容もすばらしかった。「有名人を撮るよりも雨に濡れた窓を撮るほうが私には興味深いんだ」という言葉は、とりわけ印象に残っている。

ソール・ライターは1923年ピッツバーグ生まれ。ニューヨークへ移り1950年代からファッション誌で活躍。1980年代に一線を退いてからは自由に生き、自由に撮っていたようだが、彼の写真が本格的にブレイクしたのは2006年。ドイツのシュタイデル社から初の作品集が出版されてからだった。2013年に亡くなった時点で未整理の作品が数万点あり、まだまだ発掘され続けているらしい。今回の展覧会では、初期のモノクロプリントやアンディ・ウォーホルをはじめとするアーティストのモノクロポートレート、ハーパスバザーの表紙や誌面を飾ったファッション写真、生涯描き続けていた絵画なども展示され、会場の一角には、終の棲家となったイースト・ヴィレッジのアパートの部屋まで再現されていた。

ソール・ライターの真骨頂は、なんといってもニューヨークの街や人を、てらいなく、しっとりと切り取ったカラー写真だろう。たくさんのカラースライド写真が、小さなポジフィルムのままライトアップテーブルの上に展示されているコーナーもあり、近づいて覗き込むと、ひとつひとつが美しく、彼の作品を整理しているスタッフになった気がした。続く大空間では、10面の大型スクリーンに最新の作品約250点が次々とスライドショーのようにランダムに投映されていた。ソファがたくさんあり、大勢の来場者がフィナーレであるこの空間に溜まっていたが、誰も動かない。永遠にぼんやりと見ていたくなる心地よさに、誰もがしびれているようだ。

「写真はしばしば重要な瞬間を切り取るものとして扱われたりするが、 本当は終わることのない世界の小さな断片と思い出なのだ」とソール・ライターは言った。終わることのない世界の小さな断片と思い出は、すぐに消えてなくなりそうな気配をはらみ、限りなくロマンチックで美しい。私たちが追求すべきことはコスパやタイパじゃないし、あとに残るかどうかよりも、そこにあったということが大事なのだ。写真を撮るならこんなふうに撮りたいし、写真を撮らなくても、こんなふうに街や人を見ていたいなと思う。

2023-8-13