MOVIE

『ミゼリコルディア』アラン・ギロディ(監督)

一人ひとりみな異なっているのだから、周囲の人間との違いは、その個別の人間が表現するしかない。 ― パトリシア・ハイスミス

『ミゼリコルディア』(2024)は、アラン・ギロディ監督の最新作。フランスで動員23万人を突破し、21か国での公開が決まり、インディペンデント映画としては異例の大ヒットを記録しているという。日本では過去の2作品と共にシアター・イメージフォーラムで公開中だが、これとは別の3作品が間もなく東京日仏学院エスパス・イマージュで上映される。まるで10年前にグザヴィエ・ドラン監督の作品が一挙に上映されたときのようなお祭りモードだ。

しかも『ミゼリコルディア』は、グザヴィエ・ドランの『トム・アット・ザ・ファーム』によく似ている。

『ミゼリコルディア』の主人公は、好青年ジェレミー。彼はかつて働いていたパン屋の店主ジャン・ピエールの葬儀に出席するため、トゥールーズから故郷の村へクルマで向かう。ジャン・ピエールを慕っていたジェレミーは、故人の妻が暮らす家に泊めてもらうが、独立して世帯をもつ息子ヴァンサンは曲者で、ジェレミーの滞在を快く思わず暴力的な態度をとる―

『トム・アット・ザ・ファーム』の主人公は、好青年トム。彼は職場の同僚だったギヨームの葬儀に出席するため、モントリオールから田舎の農場へクルマで向かう。ギヨームの恋人でもあったトムは、故人の母と兄が暮らす家に泊めてもらうが、農場を継いだ兄フランシスは曲者で、トムに高圧的な態度をとり支配していく―

共通点はたくさんある。主人公が都会から地方へとクルマを走らせ、大自然に囲まれた閉塞感のある土地へと没入していくこと。歓迎されていないのになぜか逃げ出さず、滞在が長引いていくこと。滞在中に同性である故人の服を着ていること。複数の人物の中に愛や嫉妬や疑念が渦巻いていくこと。

ところが、いわくありげな雰囲気や背景こそ似ているものの、蓋を開ければ、この2作品が指向する境地はまったく異なっていた。『トム・アット・ザ・ファーム』がホモセクシュアル(同性愛)を繊細に取り扱った息詰まるようなサスペンスであるのに対し、『ミゼリコルディア』はパンセクシュアル(全性愛)をあっけらかんと見せつけるモラルレスなコメディだったのだ。

ミゼリコルディアとは「慈悲」の意味で、最もぶっ飛んだキャラクターである神父が鍵を握る。一体何を見せられているのかと大いに戸惑うが、これほど型破りで常軌を逸していながら希望に満ちた人間ドラマは稀有。愛は、自分や相手の「年齢」や「性別」や「容姿」や「素行」に関係なく、成就するのである。だから、愛する人がいるなら、ためらう必要もあきらめる必要もない。最もあきらめる必要があると思われる片思いにすら、この映画は度肝を抜くようなゴーサインを出してみせる。愛に不可能はないのだと。

2025-3-31

『愛を耕すひと』ニコライ・アーセル(監督)

勇気とは、自分で引いた境界線を溶かすことである。― ブレイディみかこ

予告編を見ても、主演のマッツ・ミケルセンが松重豊にそっくりだなとしか思わなかったし、彼が自ら主演作を「見てね!」と日本語でPRする動画にも心を動かされなかった。そもそも私は、マッツ・ミケルセンのファンではない。

しかし、この映画の本編を見てしまったらもう、ファンどころの騒ぎではない。これは「北欧の至宝」といわれるマッツの微妙な表情をひたすら見守り、読み取るための2時間8分だ。基本、ニコリともしない憮然とした態度で、「孤独のグルメ」のようにモノローグのアフレコで心情を吐露することもないから、ごくわずかな表情筋の変化も見逃せない。この抑制された演技が、息を呑むほどすばらしいのだ。

コペンハーゲン生まれのマッツが演じるのは、18世紀のデンマーク開拓史に残る実在の人物、ルドヴィ・ケーレン大尉。彼は貧しい退役軍人でありながら、たった一人で荒野を開拓すべく名乗りをあげる。「愛を耕すひと」というのは口あたりの良いネタバレなタイトルで、原題は「Bastarden」。私生児、まがいもの、ろくでなし、などの意味があり、彼の出自を表している。

軍隊で25年かけて大尉まで成り上がった貧しい孤高の野心家が、国王から貴族の称号を得たいがために、これまで不可能といわれてきた難題に挑むのである。スムーズに事が進むわけがない。過酷な自然環境に加え、地主と言い張る貴族の執拗かつ残酷きわまりない妨害が待っている。しかも開拓には人手が必要。マッツは困窮した外国人を無報酬で働かせるなど、やや粗暴なふるまいをしながらも、彼らと共に暮らす中で、静かに変化していく。

まさに、荒れた土地を耕しながら自らの荒んだ心も耕してしまうわけだが、彼が最終的に作物や愛を実らせることができるのかは、ここでは言及しない。

言及したいのは、マッツは、耕される以前から既にいい男だったってこと。信念があり筋が通っているし、ちゃらくないから、モテる。アラカンのしがない退役軍人が、若い貴族の女性にアプローチされるなんて普通に考えるとありえないが、そんな非現実な設定を違和感なくキメてくれるのがマッツの実力だ。女性とのコミュニケーションに慣れていないウブさがいいし、愛されたら責任をとる誠実さもたまらない。貧しいから正装といったら軍服しかないわけだが、その一張羅のかっこよさといったら。こんな男がいたら、もはや年齢や身分などどうでもよくなりそうだ。

マッツの軍人らしい無骨さは、少しずつ耕されて柔らかくなっていく。人生とは、間違いだらけの選択をしながらも、時とともに本当に大切なこと、本当に大切な人に気づいていく道のりだとわかる。ぜったいに譲れなかったものが、譲れるようになる。ひどい出会い方をした人が、かけがえのない人になっていく。マッツのように信念を貫くことが、逆に柔軟性を得ることにつながるなんて、人生、捨てたもんじゃない。ある重要なシーンで彼が放つ「後悔している」というセリフには泣けた。マッツにそんなことを言われて、落ちない人間はいないだろう。

もっともっとマッツの表情を見ていたい。もっともっと明るめの表情も見てみたい。カメラに向かって愛想よく「見てね!」とは言ってほしくないけれど。

2025-2-19

2024年洋画ベスト10

●グレース(イリヤ・ポヴォロツキー)

●アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家(ヴィム・ヴェンダース)

●落下の解剖学(ジュスティーヌ・トリエ)

●関心領域(ジョナサン・グレイザー)

●至福のレストラン 三つ星トロワグロ(フレデリック・ワイズマン)

●瞳をとじて(ビクトル・エリセ)

●みんなのヴァカンス(ギヨーム・ブラック)

●美しき仕事 4Kレストア版(クレール・ドニ)

●ヴェルクマイスター・ハーモニー 4Kレストア版(タル・ベーラ)

●バグダッド・カフェ4Kレストア版(パーシー・アドロン)

2024-12-31

2024年邦画ベスト10

●ナミビアの砂漠(山中瑶子)

●ペナルティループ(荒木伸二)

●すべて、至るところにある(リム・カーワイ)

●Cloudクラウド(黒沢清)

●アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師(上田慎一郎)

●ぼくのお日さま(奥山大史)

●本心(石井裕也)

●ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ(阪元裕吾)

●ミッシング(𠮷田恵輔)

●サイレントラブ(内田英治)

2024-12-31

『美食家ダリのレストラン』ダビッド・プジョル(監督)

コンビニの缶ボトルのスパークリングワインにスムージー系ジュースを混ぜることをなぜもっと早く思いつかなかったのだろうか。それで夏のバルコニーは完璧じゃないか。― 千葉雅也

東京は、世界一レストランの多い都市だ。でも、それだけじゃない。「ミシュランガイド東京2024」によると、星付きレストランの数も世界一の180軒で、2位のパリを大きく引き離す。うち三つ星レストランは12軒で、これも世界一だ。

一方、2002年からイギリスの月刊誌が始めた「世界のベストレストラン50」では、日本のレストランはベスト5に入ったことすらない。逆に、毎年必ずベスト3にきっちりランクインしているのがスペインのレストランだ。「世界一予約が取れないレストラン」と呼ばれ、2011年に閉店した三つ星レストラン「エル・ブジ(=エル・ブリ)」は、かつて5回も1位に輝いた。2024年の1位に輝いたのも、エル・ブジのDNAを受け継いだシェフ3人が経営するレストランなのである。

はたしてエル・ブジの魅力とは一体何なのか? 日本のレストランとどう違うのか? その答えがふわっと体感できるような錯覚に陥る映画が「美食家ダリのレストラン」だ。監督はエル・ブジのドキュメンタリーやサルバドール・ダリのドキュメンタリーを手掛けた人。1974年、スペインの海辺の街カダケス(エル・ブジから車で40分、サルバドール・ダリの家から車で8分)を舞台に、レストランオーナーの推し活を中心とした人間模様を描くフィクションだ。

レストランの名は「シュルレアル」。オーナーの推しは、近くに住むサルバドール・ダリである。ダリ風のシュールなオブジェを屋外にちりばめた自慢の店に、本人がいつか食事に来てくれることを心待ちにしているのだ。そんなオーナーの前に現れるのが、バルセロナから逃げてきた訳あり天才シェフ、フェルナンド。エル・ブジのシェフ、フェラン・アドリアをモデルにした人物であり、料理もエル・ブジで実際に提供されていた美しい皿の数々が再現される。いちばん美味しそうに見えたのは、屋台の店で焼いていた新鮮なエビだったけれど。

何よりのご馳走は、カダケスの海と光と人々の表情なのだ。このレストランで飲んだり食べたりするなら屋外しかありえないし、ラテン系の大雑把なコメディであることもリラックスできてよかった。店にはダリの作品「ロブスター・テレフォン」を模した電話があり、オーナーが得意げにこれで予約をとるのである。

ぐんにゃりした時計が木にかかっているのも笑えた。溶けていくカマンベールチーズから着想を得たといわれるダリの作品「記憶の固執」のパロディだが、ぐんにゃりした時計しか記憶になかったこの絵を改めて検索して見て感激した。映画に登場する美しい海と岬が、背景に描かれていたからだ。

ひなぎく型のロゴの原型をダリがデザインしたという棒付きキャンディ、チュッパチャプスも魅惑的な女優の小道具として活躍する。スペインの人は皆、チュッパチャプスを舐めているのだと、山田チカラさんが試写のあとのトークで言っていた。

山田チカラさんは、かつてエル・ブジでフェラン・アドリアに師事し、食材をムースのような泡状にするエスプーマ料理を日本に広めた人だ。この日は、昨年スタートした麻布十番のスペインバル「バルセロナ グロック」からシェフエプロン姿で試写に駆けつけ、この映画がどのくらい忠実にエル・ブジのシェフやオーナーや料理を再現しているかをリアルに語り、「お客さんが待ってるから」と爽やかに帰っていった。バルセロナ グロックでは今、映画タイアップメニューとして「サマートリュフのスパニッシュオムレツ」と「ココナッツカレーと人参のアイレ(=泡)」の2品が食べられるそうだ。

東京にもエル・ブジのDNAを受け継ぐシェフがいるのである。世界一予約が取れなかった伝説の店の幻のメニューを、予約せずに食べられるなんて、やっぱり世界一じゃないか東京。と、大雑把にまとめてみる。

2024-8-7