BOOK

『ブルガリ全面広告』 村上龍 / 10/9朝日新聞・日本経済新聞

好きになる瞬間の変化。

今朝の新聞で、小柴昌俊氏のノーベル物理学賞受賞の記事とともに目立っていたのは、ブルガリの全15段カラー広告だった。ピアノの鍵盤に配された時計やリングの写真とともに、白抜きの文字で村上龍の文章が掲載されていた。J-waveでは、ジャクソン・ブラウンの「lawyers in love(愛の使者)」がかかっていた。今日はジャクソン・ブラウンとジョン・レノンの誕生日なのだそう。

………………

もう二十年以上前のことになる。『コインロッカー・ベイビーズ』という小説を書いていた頃だ。わたしにとって初めての書き下ろしで、また初めての本格的な長編小説だった。執筆には十一ヵ月かかった。(中略)

執筆に疲れると近所の公園で犬とサッカーをした。犬は雌のシェパードで、名前をローライといった。(中略)

むずかしいシーンを未明に書き終えて、妙に頭が冴えてしまい、眠れそうになかったので、まだ薄暗かったがローライを連れて夜明け前の公園に行った。(中略)いつものように一対一のサッカーの勝負を続けているうちに、空が明るくなっていき、やがて光の束が低く公園の地面を照らした。そして、朝日に照らされた地面を見た瞬間、わたしは息を呑んでその場に立ちつくした。(中略)

昨日までは枯れていて色を失っていた公園の一面の草が、朝日を受けて緑色に輝いていたのだ。地表を覆う草はまるでシルクのカーペットのような鮮やかな緑色に変わり、朝露に濡れていた。(中略)変化というものはゆっくりと進行するが、あるとき急激に目に見えるものとして顕在化するのだ、そう思った。

長い間支配的なシステムだった年功制のせいだろうか、わたしたちの社会には、レベルやグレードというものはゆっくりとしかアップしないという常識があるような気がする。だが外国語を学んだ人だったら誰でも同じような経験があると思うのだが、相手の言うことが急に理解できるようになったり、ふいにからだの内側から言葉が溢れてくるように話せるようになったりする瞬間がある。それは初めて自転車に乗れるようになったときの感覚に似ている。わたしたちはゆっくりと自転車に乗れるようになるわけではなく、あるとき突然、「自転車に乗る」感覚をつかんでしまうのだ。

わたしたちは何かをマニアックに好きになるとき、ゆっくりと少しずつ好きになったりしない。ふいに強い感情に襲われ、わけのわからないものに魅入られた感じになり、そしてあとになってからそれを好きになったのだと気づく。(中略)バッハやモーツァルトの作品を聞くとき、それが「作られた」ものではなく、最初からこの宇宙のどこかに存在していたのではないかと思ってしまうことがある。

小説も音楽も、そして精緻な宝石も本当は完成までに気の遠くなるような時間がかかっている。だが、それを受け取る人は瞬間的にその世界に引き込まれる。美しいものは、急激に顕在化し、一瞬でわたしたちを魅了する。

………………

何かを好きになるとはこういう感覚なのだと、久しぶりに思い出したような気がした。こんな大切なことを、私は忘れていたのだろうか? 実際、たいして心を揺さぶられないものを、好きだと思い込もうとしたことが確かにあった。そんな時、自分の中のどこかが濁るような気がした。

だから私は、この文章に「救われた」と思った。

美しいものが急激に顕在化する瞬間を、私はいつも待っている。「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのは10年ほど前のことだが、強い感情に襲われた記憶は色あせない。

美しいものは世の中に残り、強い感情は人の中に残るのだと信じたい。

2002-10-09

amazon(コインロッカー・ベイビーズ)

『きみとあるけば』 伊集院 静(文)堂本 剛(絵) / 朝日新聞社

伊集院静氏がモテる理由。

アンアン10月2日号の「愛されるひと、愛されないひと」特集の巻頭にhitomiと優香が登場していた。

彼氏に振られ慌ててしまい、軽い気持ちでこの世界に入ったという優香は「私には競争心というか、人の上にたちたいという気持ちがあまりない」と言い、子供の頃に両親が離婚したことから愛情あふれる人に憧れるというhitomiは「『IS IT YOU?』という曲の歌詞で”君だと信じた瞬間に強い風が吹き乱れた”というフレーズがあるんですが、そういう歌詞を作るとき、自分の中で大きな愛を意識します」と言う。

彼女たちが「愛されるひと」であるとするならば、その理由は、他人を受け入れ、信じることの大切さを知っているからではないかと思う。他人を信じるとは、自分の価値観を信じること。未知の存在を受け入れることで、人は初めて自力で自分を肯定できる。そんな自立した価値観こそが、多くの人に愛されるのではないだろうか。

「少年の心を忘れない2人による異色のコラボレーション」という帯のついた本書は、最後の無頼派とよばれる作家の伊集院静氏が少年時代を綴り、タレントの堂本剛クンがイラストを描いており、愛される男の代表として2人が選ばれたかのようにも思われる。2人の共通点はダックスフントを飼っているということで、彼らが犬の話を通じて語っていることもまた、他人を受け入れ、信じることの大切さなのだった。

大家族の中で、少し変わった子どもというレッテルを貼られて育った伊集院静氏が、最初に相手を信頼し、相手も無条件に友だちと認めてくれたのは、一匹の雑種の仔犬だったそう。「私のファースト・フレンドはベストパートナーでもあった。私はしあわせな時間を持てたと今も思っている」と彼は言う。「最後の無頼派」の原点は、こんなハッピーな少年時代だったのだ。

小学2年生の時、伊集院静氏が初めて自分の絵を誉められたときの話も印象的だ。
先生「うん、これはいいぞ。とてもいい絵だ」
F君「うわっ、面白い。とてもいいよ」
このときのF君の声と表情を、彼は今も覚えているといい「あの時、私はF君に、ありがとう、と言っただろうか」「素直に人が賢明にやったことを誉める人間に自分はなっているだろうか」と自問するのである。

幼い頃に、このような形で信頼しあえる犬や友達に恵まれた人間は、大人になってからひねくれるはずがない、と私は思う。まっすぐに他人を信じ、自分を信じることのできる人間は、弱い者をいじめたり蹴落としたりすることがないだろう。こういう男は、他人との比較の中で生きるということがないから、オンリーワンになれる。つまり、確実にモテるのである。

本書に収められている伊集院静氏の文章は、堂本剛クンに向けて書かれたという。彼は剛クンの写真を初めて見たときにこう思う。「変な話だけど、もし地震なんかが起きて、私が柱の下に埋まったとして、『すみません、助けてください』と頼んだら、きっと助けてくれそうな感じがしたんだよね(笑)。男の子同士だからわかる感覚で、これはすごく大事なんです」

モテる男は、年齢・性別を問わずに他人を信頼し、甘え、スペシャルな関係を結んでしまう。伊集院静氏は、落ち着いた年長者の口ぶりでありながら、実は、30歳も年下のアイドルに甘えているのだ。さすが、かつて夏目雅子と桃井かおりを三角関係で争わせた男だけのことはあるではないか。本書の中で、現在の妻、篠ひろ子が彼に対して使う敬語には「うっそー」と驚いてしまうが、現実には、彼のほうがどろどろに甘えているにちがいない。

2002-09-27

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『北のサラムたち』 石丸次郎 / インフォバーン

彼らはどこまで世界を知り、どこまでタブーを破るのか?

サラムとは生身の人々のこと。北朝鮮で使われる無機質な「人民」という呼称の対極にある。
著者は、93年より中国と北朝鮮の国境地帯と日本を行き来し、400人近い北朝鮮難民を取材。支援者から拒否反応が出るほど評判の悪い彼らの言動(嘘つき、せっかち、視野狭窄、媚びへつらい、その場しのぎ、自己中心的、被害者意識過剰、男性は怠け者…など)についても「何が彼らをそうさせたのか」を理解しようとする。

食糧難と圧制に耐えかねて国境の川を命がけで渡り、中国朝鮮族の民家へと駆け込む北朝鮮難民は後をたたず、非法越境分子として人身売買に近い形で中国の農村に嫁ぐ女も多い。しかし、とりあえずの飢えはしのげても、中国語を話せない北朝鮮難民の働き口は限られ、中国当局に見つかれば逮捕・強制送還。彼らを受け入れた民家の負担は大きく、同情も長続きしない。

したがって、中国に脱出した難民たちは3つの選択肢を迫られる。
1北朝鮮へ戻る。(処罰は逃れられない)
2農村で自力で暮らしていく。(逮捕・送還の危険性あり)
3中国からモンゴルなどの第三国に密出国する。(失敗すれば送還され、日本や韓国に行ける保証もない)
この中で注目されるのが3つ目の選択肢。2002年4月から7月にかけて、外国公館(アメリカ、カナダ、ドイツ、韓国、日本総領事館)に駆け込んだ北朝鮮難民は40人を超えたという。

1950年代末から朝鮮総連が繰り広げた「祖国に帰ろう」という帰国運動にのせられ、差別と偏見に満ちた日本を捨て北朝鮮へ渡った元在日朝鮮人二世は言う。「朝鮮に帰国したことは、悔やんでも悔やみきれません。日本のことばかり考えて暮らしてきました」。
「北朝鮮は地上の楽園」という宣伝文句と現実とのギャップは大きく、帰国者たちは資本主義社会から来た異端分子として北朝鮮で新たな差別を受けることになったという。やりくりに行き詰まった彼ら4人家族は、日本の肉親からの最後の援助金(30万円)のほか支援団体と著者の協力を得て、中国からロシア、韓国と奇跡的な脱出に成功。ただし、長女だけは北朝鮮に強制送還されてしまい、行方はわからない。

そんな国の風穴を予感させるのが、著者がしばらく同居生活をしたという2人の難民青年、ドンミョン(仮名)とチョル(仮名)の生き方だ。

ドンミョン「両親は死んだし、妻子は食べ物探しに出ていって行方不明だし、もう北朝鮮には帰る家もない。どうしたらいい、ヒョンニム(兄貴)?」
著者「勉強好きなんだから、これまで北朝鮮で体験してきたことを文章にまとめてみたらどうだ?飢餓の実情を世界に知らせるためにも値打ちがある仕事だぜ。原稿料も稼げるし」

著者の持ち込んだ新聞や本を夢中で読みふけるドンミョンは、やがて300枚の体験記を綴る。その文章は文芸春秋(98年4月号)や韓国のメディアで注目され、彼は北朝鮮で数年間暮らせるほどのギャラを手にした。

チョルのほうは、NGOグループの支援と著者の技術指導により、北朝鮮の子どもたちの秘密撮影を決行。そのインタビュー映像は欧米のメディアにも取り上げられ、優秀な活躍をした報道TVカメラマンに与えられるヨーロッパの「ローリー・ペック賞2001」フィーチャー部門を受賞した。今も中国と北朝鮮を行き来しながら、なんらかの活動に従事しているというチョルの言葉はリアルだ。

「俺は、別に韓国に逃げたいとも思わない。かといって中国で匿れていてもやることもない。男として生まれたんだから、なにかデカいことをやりたいよ。金正日に抗って生きていくのも、値打ちあるよな」

2002-09-20

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『本田靖春集2 ― 私戦/私のなかの朝鮮人』 本田靖春 / 旬報社

差別なんて、いつの話だよ?

9月1日朝5時。仕事を終えて帰ろうとしたら、表参道から青山通りにかけてL字型に長い行列ができていた。
今日はルイ・ヴィトン表参道店のオープンの日だということに間もなく気づく。開店6時間前なのに、行列は数百メートル続いていたのだ。既存の店舗でも、ふだん「1人3個まで」とか店内に書かれているくらいだから、今日は間違いなく「1人1個まで」なんだろうな、と思った。そうでなければ、半日で商品がなくなってしまう!

マーク・ジェイコブズがデザインするルイ・ヴィトンの服は、とても可愛いと思う。が、値段はちっとも可愛くない。たとえば、カシミヤ使いのレインコートが¥298,000というのはわかるにしても、ピーコートが180,000というのはいかがなものか。10分の1以下で本物(軍モノ)が買えるじゃないか。

世界先行発売の時計が目当てなのか、男性の姿も多く「日本人はブランド好き」という月並みな言葉が思い起こされた。だが、並んでいるのは本当に日本人ばかりだろうか? 日本に住んでいるのは日本人だけではないのに「ブランドに群がるのは日本人」と何となく思い込んでしまう。悪い癖だ。

本書は、在日韓国・朝鮮人に対する差別問題と向き合った2編だ。

「私戦」は、1968年冬の「金嬉老(きんきろう)事件」(在日韓国人二世コン・ヒロが、差別発言をした警察への謝罪などを求め寸又峡温泉の旅館に13人を人質に立てこもった事件)を追い「金嬉老事件の重大さは、在日朝鮮人の懸命の訴えを、権力とマスコミが呼応して葬り去り、差別と抑圧の構造を最悪の形で温存することに成功した点にある」と結論づける。

「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮で生まれた日本人、つまり、かつての支配者としての植民地二世である著者が、自らの体験をもとに贖罪意識や差別感情の根を掘り起こす。

「”あなた日本語お上手ですね。顔も全然わからない。私は、日本人だとばっかり思っていました”。そういう言い方が、実は朝鮮人に対して、たいへんに失礼だということに日本人は気づいていない。日本人とそっくりの顔をして、日本人と同じに日本語をしゃべるというのは、お世辞のつもりだろうけど、そんな失礼なことはない。いったいそれじゃ、朝鮮人は対等な仲間じゃないとでもいうのだろうか」(「私のなかの朝鮮人」より)

難しいのは、日本人と思われたい人もいるし、思われたくない人もいるという事実だ。帰化した人が同胞から非難されたり、在日の人がソウル生まれの同胞から差別されたりという実例を読むと、「日本人vs在日韓国・朝鮮人」という単純な図式ではとうてい語り得ないことがよくわかる。

著者は、ある一家の歴史を取材し、思い悩んだ上で克明に記す。その悲惨な描写が新たな差別感情を誘発する可能性は大きい。在日韓国・朝鮮人の中にも、このような話が公になることを迷惑だと感じる人もいるだろう。

「私の中の朝鮮人」が書かれてから、既に28年が経過している。当時とは世代が入れ替わり、人々の意識はずいぶん変化したようにも思われるが、本当にそうだろうか。「差別なんて、いつの話だよ?」と笑って済ますことができるのは、国籍を問わず「被害を受けていない人」だけなのだと思う。過去を蒸し返すことを好まないのは、いつだって加害者だ。

コン・ヒロの手帳にはこう記されていた。

「世界の平和!これは何んと素晴らしいことだろう。出来れば俺もその平和の中に住んで見たい。平等で偽りも裏切りも殺し合いもない、真の平和な世界があるならば…。俺はそんな世界がこの地球のどこかにあるように思えるが、悲しい事に、それをまだ見た事がない」(「私戦」より)

2002-09-03

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『本田靖春集1 ― 誘拐/村が消えた』 本田靖春 / 旬報社

被害者は、加害者になっちゃダメ。

8月25日付で発行された「本田靖春集5-不当逮捕/警察回り」をもって、本田靖春集全5巻が完結した。
全集刊行にあたっての「著者からのメッセージ」には、こう書かれている。

「ある時期から私は、『由緒正しい貧乏人』を自称するようになった。それは、権力に阿らず財力にへつらわない、という決意表明であった。いま私は不治の病を三つばかり抱えている。消えてしまった戦後民主主義のあとを追って、間もなく逝くであろう」

逝かないでほしい、と私は思う。不治の病なんて、誰でも三つくらい抱えているものじゃない?本田靖春氏も生まれたばかりの赤ちゃんも私たちも、いくつかの不治の病を抱えながら等しく現在を生きているのだ。そんなふうに勝手に思っていたい。病床の著者は今「我、拗(す)ね者として生涯を閉ず」という自伝的ノンフィクションを月刊現代に連載している。

本書には、1963年の「吉展ちゃん誘拐事件」を丹念に取材した「誘拐」(文芸春秋読者賞・講談社出版文化賞受賞)と、国の開発構想に翻弄され続ける六ヶ所村むつ小川原地区の歴史をあぶり出した「村が消えた」の2編が収録されている。どちらの作品も、関係者一人ひとりの個人的な背景に寄り添うことで、事件にトータルに迫っている。

「事件にトータルに迫る、と口ではいっても、取材の行く手に待ち受ける障碍はそれこそ数限りなく、逃げ出したい気持に襲われることもしばしばであったが、その姿勢だけは辛うじて貫いたつもりである。事実とのあいだの緊張関係を保ち続けるのは息苦しい。しかし、それなくしてノンフィクションは成立し得ないからである」
(「誘拐」文庫版のためのあとがきより)

「誘拐」を読むと、吉展ちゃんを殺した小原保もまた被害者であることがわかる。被害の根源は、彼の生まれた土地であり、環境であり、血であり、病いであり、不運であり、お金であり、弱さでもある。つきつめていえば、最後の「弱さ」のみが原因だと断言できそうだが、著者はそんな彼に同情するでもなく、糾弾するでもなく、公平な視点で事実を掘り起こし積み重ねてゆく。

吉展ちゃんは殺害され、小原保は死刑になった。殺人にも死刑にも、救いはない。唯一の救いがあるとすれば、それは吉展ちゃんの遺族の理解である。「誘拐」を原作とするテレビ番組が放映されたあと、それまで何かとマスコミ不信を口にしていた吉展ちゃんの遺族が「私たちは被害者の憎しみでしか事件を見てこなかったが、これで犯人の側にもかわいそうな事情があったことを理解出来た」という趣旨の感想を述べたという。彼らは、一方的な被害者意識を軽減することができたのだろう。

被害者意識からは、恨みや報復しか生まれない。小原保を誘拐殺人鬼へと駆り立てた元凶も、被害者意識だったのではなかったか。切羽詰った被害者意識は、一発大逆転への暗い希望へとつながる。「かわいそうな事情」を抱える人間ほど、加害者へと豹変する可能性を秘めているのだ。 そんなネガティブな連鎖の構造を断ち切ることがノンフィクションの役割なのかもしれない。

新聞紙面を眺めれば、相も変わらず殺人、虐待、横領、隠蔽の日々。どんな事件の背景にも、必ず何らかの「かわいそうな事情」があるはずとは思うものの、私たちが学ぶべきは、非常事態の中で志を高く持ち続けるにはどうすればいいか、金や権力の有無といった瑣末な状況に左右されない不変の境地を獲得するにはどうすればいいかということである。

本田靖春氏は「由緒正しい貧乏人を自称する」という答えを出した。
自らの出自に誇りを持ち、きちんとものを言いながら生きていくことだと思う。

2002-08-27

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