BOOK

『方舟』 しりあがり寿 / 太田出版

笑顔で、手をふって、別れたい。

やまない雨の物語。
強い人も、弱い人も、前向きな人も、後ろ向きの人も、恋愛している人も、孫の顔を見るのが楽しい人も、みんな等しく水にとけてゆく。絶望的に美しい終末の物語。

「世界の終わりだから好きな人といたいのよ!!」と家を飛び出す女子高生と、そんな彼女の前にイカダで登場する男子高生。二人は「どこ行こうか」と楽しげに洪水の町を流されてゆく。

歯みがきメーカーは雨につけこんだ方舟キャンペーンを展開し、テレビはとんちんかんな報道をやめようとしない。さまざまな家族が崩壊し、おびただしい人が死に、雨はやむ気配がない。

やがて雨が上がり、イカダの上でうつぶせに寝ている二人。彼は、彼女が雨の間に1576回、雨が上がってから296回のタメ息をついたと言い、彼女は「うそー 数えてるはずないじゃない」と言う。彼は、彼女のサラサラの髪とスベスベの頬にふれるけれど、彼女にとって、自分の髪はゴワゴワだし、頬はベタベタだ。

彼 「もうダメみたい」
彼女「ダメなの?」
彼 「手足しびれちゃってるし 意識はモウロウとしてるし・・・」
彼女「じゃあしょうがないわね・・・」
彼 「じゃあね」
彼女「じゃあね」
笑顔で手をふりあう二人。彼は力尽きてイカダからすべり落ちる。彼女はタメ息をついてくすくす笑うが、それを数える人はもういない。彼女もやがて力尽き、水の中に落ちてゆく。

二人は最後まで、ちゃんとコミニュケーションできていないみたいだ。でも、これでいいのかな。仲よさそうだし。楽しそうだし。幸せそうだし。最後は手をふって別れ、一人ずつになって死ぬ。それが人間なのかも。これくらいで十分なのかも。人は幻想の上に幻想をぬりこめて、幻想の中に消えてゆく。

「『輝ける未来』が失われたのは、他の何のせいでもなく、あなたの、私の、人類そのものの脳みその、一つ一つの脳細胞の、想像力の、力不足のせいなのだ。ただそれだけなのだ。さあ、未来を失ったからには、せめてとびきり美しい『終末』を思い描こう。それは美しく静かで透きとおった『終わり』だ。もうなんだか全てのものが甘く、悲しいほど甘く、重たい水の中にとけてゆく『終わり』だ」 (あとがきより)

2002-12-20

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『恋愛の格差』 村上龍 / 青春出版社

もてない男が、戦争を推進する。

「どうして四十八歳の作家の作品を十代や二十代の若者が読むのだろうか」
村上龍は、かつて自著のサイン会に来た人たちを見て不思議に思ったという。

1976年にデビューした著者が、いまだにトップといっていいほどの人気作家であり続けているのは確かに異常だ。皆本当のことを知りたいのに、真実にストレートに肉迫する人が出現しない。ヒューマニズム的観点からの説教や自慢話、それっぽさを装った難解な文章、安易なカテゴライズ解析、受けを狙った面白話等は世の中にあふれているが、それらはむしろ真実をはぐらかす。合理性に基づいた普通の文章を書く人が少ないのだ。「天声人語」が、せめて村上龍レベルの危機感に貫かれた文章で書かれていればいいのにと思う。

女性誌の連載(1999年秋~2002年夏)をまとめた本書のテーマは、日本の社会に格差が生まれてきたということ。経済格差抜きで恋愛を語れない時代なのに、メディアを席巻しているのは「勝ち組み」「セレブ」など曖昧な言葉のみ。高級ブランド品を欲しがる人が多いのは、それらが経済格差を隠蔽するからだという指摘は鋭い。

「これからは充分な金を持てない男が増えるだろう。企業利益は、一律にサラリーマンに振り分けられるのではなく、仕事ができさえすれば、女や若い人や外国人にも支払われる。没落するのは、これまで男性優位社会で威張ってきた男たちだ。金がない男でも、大きく二つの階層に分かれるだろう。年収は少なくても、NPOなどで充実した人生を持つ男と、単に金も生き甲斐もない男だ」

要するに女は「金のある男」か「生き甲斐のある男」か「金も生き甲斐もある男」を選ぶしかないのだが、生き甲斐のない男は問題外というのが本書の主旨。やりたいことがあり、積極的に外へ出て、会社以外の信頼できる人的ネットワークをもつ男にはお金がついてくるだろう。著者が疑問を呈するのは、やりたいことも危機感もなく、苦悩することを避け、引きこもりがちで暇な男。つまり退屈な人生を平穏と勘違いしているような男で、とりわけ「パラサイト・シングル」と「フリーター」には懐疑的だ。

「介護をしているわけでもなく、三十を過ぎて親と同居しているような男のことを気持ちが悪いとは思わないだろうか」

「三十五歳になって何の知識も技術もない人間は、社会の底辺でこき使われるしか生きる方法はないのだと気づく。そのことに愕然として、社会を憎悪する者が今よりも圧倒的に増えるだろう」

「バイタリティを失った人間は外へ出なくなり他人と出会おうとしなくなる。さまざまな問題を自分一人で考えようとする。他人がいないから悩みや不安の自己循環が始まる。悩みや不安を誰にも話さないから、自分の中で堂々巡りが始まるのだ。その自己循環は恐ろしい。周囲がすべて敵に見えたりする」

「つまり自分がこんなに不幸なのは、自分に才能がないとか、努力が足りないとかではなく、誰か他人が自分の邪魔をしているのだという妄想のようなものが起こりやすくなる」

その結果、彼らは弱者を傷つける。ホームレスや中高年のサラリーマンを襲ったり、妻を殴ったり、子供を虐待したり。本当は自分を殴りつけたいのだが、代替行為として身近にいる弱者に攻撃を加えるのだ。
「もてない人間たちは、恋愛どころではないという世の中になって欲しいのだ。戦争を推進するのはもてない人たちなのではないかと思うこともある」と著者は極論するが、愛情の欠如により、力でねじふせようとする人たちは確かにいる。いちばん厄介なのは、思春期の問題をうまくクリアできなかったケースかもしれない。親の責任も大きい。

2002-11-03

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『その夜、ぼくは奇跡を祈った』 文:田口ランディ 絵:網中いづる / 大和出版

クリスマスの正しい過ごし方。(その2)

クリスマスプレゼントにふさわしい小さな絵本。

収録されている3つの短編は、どれもイブの日の物語であると同時に「仕事」が重要なモチーフとなっている。

1 「クリスマスの仕事」・・・・・ 恋人のいない男が主人公。イブは相棒と仕事。
2 「一番星」・・・・・・・・・・ 恋人のいない女が主人公。イブは会社で仕事。
3 「恋人はサンタクロース」・・・ 恋人のいる男が主人公。イブは会社で仕事。

1と3の主人公は、いずれもクリスマスに関係の深い「営業」のお仕事で、かなりいい感じの内容だ。周囲の人たちもあたたかいしね。そんな中で、2の女性の仕事だけが、クリスマスに関係のない内勤の仕事で、先輩社員からは「イブだってのに、これみよがしに働かれると、かえって迷惑なのよね」なんて言われちゃう。しかも体調は最悪。彼女の人生に面白いことなんて何ひとつないように見える。

この本の帯には「きっと、人はみんなひとつにつながっているんだ」というコピーがあり、どの短編も見事にそういう結末になっているのだが、私だったら「きっと、仕事って大切なんだ」というコピーにするだろうな。(そんなんじゃあ、クリスマスに売れないってば・・・)

完成度の高さという点では1と3が文句なく素晴らしいが、そんなわけで、私は2の彼女が気になって気になって気になって、この短編がいちばん心に残ってしまった。具合が悪くて会社を早退した彼女の目の前には、追い討ちをかけるように幸せそうなカップルが現れるのだ。しかし、この短編ですら、ちゃんとハッピーエンドに仕立てあげられているのだから参った。キスする2人を前にした彼女はこんな感じ。

「たぶん今夜は、私の人生で最悪のクリスマスイブになることだろう。
それでもわたしは、不思議なことに、心穏やかだった」

えー、ほんとに心穏やかになれたのー!? かなり無理してない? 私だったら、ぐれちゃう。

イブの当日に、クリスマスっぽい営業系の仕事ができる人は幸せかもしれない。たとえ恋人がいなくても、幸せを与える側のサンタにはなれるのだから。彼女の場合は、ラストでようやく叫ぶことのできたひとことで、サンタになることができたのだろうと納得した。

私の仕事は、コピーライターという一種のサービス業で、今年もクリスマス向けのコピーをいろいろ書いた。そういうものが今、ちょうど街に出ているわけだが、自分の手掛けたポスターの前でカップルがキスしてたりしたら、さぞかし心穏やかに・・・・・なれねーよな、やっぱし。

*絵の著者からメッセージをいただきました。Thank you!

2002-10-12

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『ブルガリ全面広告』 村上龍 / 10/9朝日新聞・日本経済新聞

好きになる瞬間の変化。

今朝の新聞で、小柴昌俊氏のノーベル物理学賞受賞の記事とともに目立っていたのは、ブルガリの全15段カラー広告だった。ピアノの鍵盤に配された時計やリングの写真とともに、白抜きの文字で村上龍の文章が掲載されていた。J-waveでは、ジャクソン・ブラウンの「lawyers in love(愛の使者)」がかかっていた。今日はジャクソン・ブラウンとジョン・レノンの誕生日なのだそう。

………………

もう二十年以上前のことになる。『コインロッカー・ベイビーズ』という小説を書いていた頃だ。わたしにとって初めての書き下ろしで、また初めての本格的な長編小説だった。執筆には十一ヵ月かかった。(中略)

執筆に疲れると近所の公園で犬とサッカーをした。犬は雌のシェパードで、名前をローライといった。(中略)

むずかしいシーンを未明に書き終えて、妙に頭が冴えてしまい、眠れそうになかったので、まだ薄暗かったがローライを連れて夜明け前の公園に行った。(中略)いつものように一対一のサッカーの勝負を続けているうちに、空が明るくなっていき、やがて光の束が低く公園の地面を照らした。そして、朝日に照らされた地面を見た瞬間、わたしは息を呑んでその場に立ちつくした。(中略)

昨日までは枯れていて色を失っていた公園の一面の草が、朝日を受けて緑色に輝いていたのだ。地表を覆う草はまるでシルクのカーペットのような鮮やかな緑色に変わり、朝露に濡れていた。(中略)変化というものはゆっくりと進行するが、あるとき急激に目に見えるものとして顕在化するのだ、そう思った。

長い間支配的なシステムだった年功制のせいだろうか、わたしたちの社会には、レベルやグレードというものはゆっくりとしかアップしないという常識があるような気がする。だが外国語を学んだ人だったら誰でも同じような経験があると思うのだが、相手の言うことが急に理解できるようになったり、ふいにからだの内側から言葉が溢れてくるように話せるようになったりする瞬間がある。それは初めて自転車に乗れるようになったときの感覚に似ている。わたしたちはゆっくりと自転車に乗れるようになるわけではなく、あるとき突然、「自転車に乗る」感覚をつかんでしまうのだ。

わたしたちは何かをマニアックに好きになるとき、ゆっくりと少しずつ好きになったりしない。ふいに強い感情に襲われ、わけのわからないものに魅入られた感じになり、そしてあとになってからそれを好きになったのだと気づく。(中略)バッハやモーツァルトの作品を聞くとき、それが「作られた」ものではなく、最初からこの宇宙のどこかに存在していたのではないかと思ってしまうことがある。

小説も音楽も、そして精緻な宝石も本当は完成までに気の遠くなるような時間がかかっている。だが、それを受け取る人は瞬間的にその世界に引き込まれる。美しいものは、急激に顕在化し、一瞬でわたしたちを魅了する。

………………

何かを好きになるとはこういう感覚なのだと、久しぶりに思い出したような気がした。こんな大切なことを、私は忘れていたのだろうか? 実際、たいして心を揺さぶられないものを、好きだと思い込もうとしたことが確かにあった。そんな時、自分の中のどこかが濁るような気がした。

だから私は、この文章に「救われた」と思った。

美しいものが急激に顕在化する瞬間を、私はいつも待っている。「コインロッカー・ベイビーズ」を読んだのは10年ほど前のことだが、強い感情に襲われた記憶は色あせない。

美しいものは世の中に残り、強い感情は人の中に残るのだと信じたい。

2002-10-09

amazon(コインロッカー・ベイビーズ)

『きみとあるけば』 伊集院 静(文)堂本 剛(絵) / 朝日新聞社

伊集院静氏がモテる理由。

アンアン10月2日号の「愛されるひと、愛されないひと」特集の巻頭にhitomiと優香が登場していた。

彼氏に振られ慌ててしまい、軽い気持ちでこの世界に入ったという優香は「私には競争心というか、人の上にたちたいという気持ちがあまりない」と言い、子供の頃に両親が離婚したことから愛情あふれる人に憧れるというhitomiは「『IS IT YOU?』という曲の歌詞で”君だと信じた瞬間に強い風が吹き乱れた”というフレーズがあるんですが、そういう歌詞を作るとき、自分の中で大きな愛を意識します」と言う。

彼女たちが「愛されるひと」であるとするならば、その理由は、他人を受け入れ、信じることの大切さを知っているからではないかと思う。他人を信じるとは、自分の価値観を信じること。未知の存在を受け入れることで、人は初めて自力で自分を肯定できる。そんな自立した価値観こそが、多くの人に愛されるのではないだろうか。

「少年の心を忘れない2人による異色のコラボレーション」という帯のついた本書は、最後の無頼派とよばれる作家の伊集院静氏が少年時代を綴り、タレントの堂本剛クンがイラストを描いており、愛される男の代表として2人が選ばれたかのようにも思われる。2人の共通点はダックスフントを飼っているということで、彼らが犬の話を通じて語っていることもまた、他人を受け入れ、信じることの大切さなのだった。

大家族の中で、少し変わった子どもというレッテルを貼られて育った伊集院静氏が、最初に相手を信頼し、相手も無条件に友だちと認めてくれたのは、一匹の雑種の仔犬だったそう。「私のファースト・フレンドはベストパートナーでもあった。私はしあわせな時間を持てたと今も思っている」と彼は言う。「最後の無頼派」の原点は、こんなハッピーな少年時代だったのだ。

小学2年生の時、伊集院静氏が初めて自分の絵を誉められたときの話も印象的だ。
先生「うん、これはいいぞ。とてもいい絵だ」
F君「うわっ、面白い。とてもいいよ」
このときのF君の声と表情を、彼は今も覚えているといい「あの時、私はF君に、ありがとう、と言っただろうか」「素直に人が賢明にやったことを誉める人間に自分はなっているだろうか」と自問するのである。

幼い頃に、このような形で信頼しあえる犬や友達に恵まれた人間は、大人になってからひねくれるはずがない、と私は思う。まっすぐに他人を信じ、自分を信じることのできる人間は、弱い者をいじめたり蹴落としたりすることがないだろう。こういう男は、他人との比較の中で生きるということがないから、オンリーワンになれる。つまり、確実にモテるのである。

本書に収められている伊集院静氏の文章は、堂本剛クンに向けて書かれたという。彼は剛クンの写真を初めて見たときにこう思う。「変な話だけど、もし地震なんかが起きて、私が柱の下に埋まったとして、『すみません、助けてください』と頼んだら、きっと助けてくれそうな感じがしたんだよね(笑)。男の子同士だからわかる感覚で、これはすごく大事なんです」

モテる男は、年齢・性別を問わずに他人を信頼し、甘え、スペシャルな関係を結んでしまう。伊集院静氏は、落ち着いた年長者の口ぶりでありながら、実は、30歳も年下のアイドルに甘えているのだ。さすが、かつて夏目雅子と桃井かおりを三角関係で争わせた男だけのことはあるではないか。本書の中で、現在の妻、篠ひろ子が彼に対して使う敬語には「うっそー」と驚いてしまうが、現実には、彼のほうがどろどろに甘えているにちがいない。

2002-09-27

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