●ニッポンの音楽(佐々木敦)講談社現代新書
●東京の家(写真:ジェレミー・ステラ)ル・レザール・ノワール
●離陸(絲山秋子)文藝春秋
●穴(小山田浩子)新潮社
●エヴリシング・フロウズ(津村記久子)文藝春秋
●春の庭(柴崎友香)文藝春秋
●サラバ!上・下(西加奈子)小学館
●よるのふくらみ(窪美澄)新潮社
●2035年の世界(高城剛)PHP研究所
●エースと呼ばれる人は何をしているのか(夏まゆみ)サンマーク出版
2014-12-30
amazon2014-12-30
amazonTOKYO!で暮らす人の感受性を、著しく傷つけるオムニバス映画。
私が石原慎太郎だったらカットしたいシーンが山ほどあるけど、私は石原慎太郎じゃない。TOKYO!にしか逃げ場がない私にとっては、悪夢としか思えない3本だ。
わかってる。TOKYO!にしか逃げ場がないなんていう生き方は間違ってる。世界は広いのだからフットワークは軽く。高城剛もそう言ってる。
見たくないものを次々と見せつけられる。日本人にはありえない視点で、TOKYO!に土足で踏み込んでくる。私たちは、口あたりのいいTVドラマばかり見ている場合じゃないのだ。
映像に比べ、HASYMO(by YMO)によるエンディングテーマ「Tokyo Town Page」は口あたりがいい。日本人が思い描きたいTOKYO!ポップカルチャーは、たぶんこんな感じ。でも、時代は変わった。もう少し聴きにくい音でおどかしてほしかった。
●1本目「インテリア・デザイン」
by ミシェル・ゴンドリー監督(fromニューヨーク)
藤谷文子と加勢亮が上京し、伊藤歩の家に居候しながら物件探しやバイト探しをする。難航する物件探しの中には銀座の中銀カプセルタワー(by黒川紀章)も!クルマはレッカー移動されるし、罰金高いし、家賃高いし、こんなに住みにくいとこなのかTOKYO!は?
映画監督の卵である加勢亮が、自作の上映会でスモークを発生させ「スクリーンと観客の境界をぶち破りたい。観客は安全圏にいてはいけない」みたいなことを言うあたりは笑えるけど、アイデンティティをなくした藤谷文子が**になってしまう後半は恐ろしくて正視に耐えない。自己表現できなければ**になるしかないなんて、本当のことを描きすぎている。
この映画の唯一の逃げ場は、大森南朋のライフスタイルで、ごく普通にTOKYO!で生活している描写にほっとする。いい表情の役者だ。
●2本目「メルド」
by レオス・カラックス監督(fromパリ)
日本の閉鎖性について、いちばん嫌な形で思い知らされる映画。突然マンホールから現れた怪人メルド(ドゥニ・ラヴァン)が、銀座や渋谷で暴行をはたらく。TOKYO!では最近、マンホール事故があったばかりだし、通り魔事件に至っては日常茶飯事。とてもフィクションとは思えない、現実と同時進行の映画なのだ。メルドに対する右翼と左翼の反応の違い(「メルドを死刑に!」「メルドに自由を!」)はステレオタイプだけど、よそものの象徴であるメルドは、私たちにとっての踏み絵なのだろう。
それにしてもメルド、日本人を悪く言いすぎ。ここまで末期症状なのかTOKYO!は? 音楽はコジラのテーマ。人間ぽいキャラがゴジラと同じことするだけで、こんなに怖いなんて。
メルドがタバコを吸い、花を食べるってとこが、ぎりぎりの逃げ場。
●3本目「シェイキングTOKYO!」
by ポン・ジュノ監督(fromソウル)
引きこもり生活11年の香川照之と、身体にスイッチボタンのついたピザ配達人、蒼井優。引きこもり男の生活なんて見たくないし、地震のシーンも見たくないけど、私は、引きこもりが外に出る、というこのシンプルな物語が好きだ。
蒼井優が「ここは完璧」と言うだけで、男の部屋も逃げ場になる。蒼井優は神様だ。しかし、やがて神様は引きこもり、香川照之は外に出る。11年ぶりの外出にあたっての神経症的なモノローグと、外の光のまぶしさ!
ホッパーの絵のような無人の山手通りを、代沢3丁目を目指して走る香川照之に、私は癒されてしまったのだった。俯瞰で撮られるTOKYO!のストリートは、世界へつながっている。きっと。
*8.16よりシネマライズ、シネ・リーブル池袋にて世界先行ロードショー!
2008-08-18
メールを使って四半世紀、自分でサーバーを立ち上げて23年、年間移動距離は200日間で地球11.3周分、年間CD&DVD購入枚数は3000枚を超え、映像作家として世界中で撮影し、世界中で上映し、毎年夏はDJ・VJとして世界各国でプレイし、世界の多くの観客とライブで触れ合う男。それが高城剛だ。
煎茶道の家元である母を持ち、大学在学中のときからビデオアート作品やCMやビデオクリップをつくってきた彼は、だれよりもテクノロジーを駆使し、だれよりもテクノロジーを愛し、だれよりも世界中を移動し、だれよりも最先端の表現を見続けてきた。と本人が言っている。今も毎週1枚のペースでDVDをつくり、それらはプライベートシアターで友人たちに披露される。
国境を超えて愛をふりまく男が放つ言葉は、圧倒的な説得力をもつ。単純化しすぎたあらっぽい言い方も気になるけど「内容は大事だが二の次で、何よりクイックレスポンスが大事な世の中である」と彼自身が言い切り、それを体現しているのだから。
「どんなにすばらしいゲームより、彼氏からのメールが最重要コンテンツだ」
美少女ゲームをやるより出会い系サイトのほうが楽しい、という彼の指摘は鋭い。
日本がデジタル後進国に成り下がってしまった諸悪の根源は、「コピーはすべて悪いことである」という前提。コピー・コントロールCDの失敗や、デジタル放送の著作権管理システムを糾弾する彼だが、very badとvery coolの両方の意味をもたせた本書の「ヤバいぜっ!」というタイトルは希望に満ちている。今後、経済が日本を引っ張ることはないが、新しい流行文化が日本を変えていくだろうと彼は予測する。
「いまもっとも日本でスピードがあるのは、20代の女性だろう。流行から思考までハイスピードで彼女たちは動いている。かつ、姿勢が柔軟である。あとのほとんどの人々はスロー志向で硬質である」
うちの事務所には、彼の後輩にあたる女子大生が常時何人かいるけれど、彼女たちは全然ひと括りになんてできない。首根っこをつかんで揺さぶりたくなるほど何も知らない子もいれば、ストーカーにつきまとわれっぱなしのヤバい(very bad)子もいるし、ネットワークを駆使してさっさと海外に移住しちゃうヤバい(very cool)子もいる。
だが、彼にとって親和性が高いのは、20代の女の子であるというのはよくわかる。男は、彼にそれほど素直についてこないだろうから。男は、彼の並外れた体力とフットワークとコミュニケーション力と目立ちすぎる外見に嫉妬するだろうから。美食の王様、来栖けいの並外れた胃袋と舌とスリムな容姿と謎の経済力に嫉妬する男が多いのと同じ。出過ぎるクイは、同性から打たれちゃうのである。高城剛のような人が反感をもたれてしまう限り、日本はデジタル後進国のままかもしれない。
「なぜ、過去の市場を分析するマーケットコンサルタントを重視し、未来の市場を切り開くクリエイティブな人々を重視しない?」
彼の叫びはまっとうな叫び。広告業界ですら、DJやヤバいやクールにいくつもの意味があることなんて興味がないって人が多いんだから。こういう仕事をしながら、一体情報をどうやってシャットアウトしてるんですかと聞きたいくらいだ。
高城剛はここ数年、徹底的に身体を鍛えているという。3年目に入り、ますます鍛え上げており、何かが変わったことは確かだというのだから参ってしまう。
「僕が好きなものは、デジタルグッズでもインターネットでもなく、新しい可能性である。そのひとつが、自分の身体と脳である」だってさ。まじでヤバいね、この男。
2006-12-03
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