●最愛の子ども(松浦理英子)文藝春秋
●ふたご(藤崎彩織)文藝春秋
●ドレス(藤野可織)河出書房新社
●ハッチとマーロウ(青山七恵)小学館
●世界のすべてのさよなら(白岩玄)幻冬舎
●わたしたちは銀のフォークと薬を手にして(島本理生)幻冬舎
●Very LiLy(LiLy)幻冬舎
●影裏(沼田真佑)文藝春秋
●末ながく、お幸せに(あさのあつこ)小学館
●成功者K(羽田圭介)河出書房新社
2017-12-30
amazon2017-12-30
amazon故人や海外作家を含む82名の女性が参加した556ページ。小説だけじゃない。エッセイあり、論考あり、対談あり、アート作品あり。詩、短歌、俳句の多さも特筆すべきだ。
いまどき、ありえない大きさと分厚さがいい。電車の中で読むにはふさわしくないけれど、そばに置いて、少しずつぱらぱら読んでみたくなるオブジェのような魅力を備えている。
なぜ女性ばかりを集めた?という意味も含めて面白い。「フェミニズム」という言葉に魅力を感じる人も、嫌悪感を覚える人も、「女性」という言葉に抵抗がなければOK。これはエポックメーキングな素晴らしい本だ。
11月26日、刊行記念シンポジウムが早稲田大学戸山キャンパスで行われた。
●穂村弘+川上未映子「詩と幻視~ワンダーは捏造可能か」
●桐野夏生+松浦理英子(司会:市川真人)「孤独感/疎外感 と 書くこと」
●市川真人+紅野謙介+河野真太郎+斎藤環「女性とその文学について男性として向き合うことの困難と必然」
●上野千鶴子+柴田英里(司会:川上未映子)「フェミニズムと『表現の自由』をめぐって」
呼ばれた理由の違いからくるのであろう言説の違いが色濃く見えて興味深かった。
●穂村弘さんによる「女性号」収録短歌の解説は感動レベルだった。
●桐野夏生さんと松浦理英子さんの多作ディストピアVS寡作ユートピア対談は「女性号」に収録されるべきものだったかもしれない。
●男性4人の対談には違和感があり、「男性号」を編んでもつまらないであろうことを想像させた。「女性号」を語るのに男性のみというのはどうなのか?川上未映子さんが入るべきだったのでは? しかし、紅野謙介さんは空気を読むのが上手な方のようで、「女性号」の誕生を祝福する場であるという役割を理解し、全うされていた。モテるおじさまというのは、こういう人のことだ。
●1984年生まれの柴田英里さんが、1948年生まれの上野千鶴子さんに食ってかかっていたのには本当に驚いた。アーティストならではの大胆不敵な勇気といえよう。上野さんは、それを完璧に受け止め、観客が求めている回答を短時間に美しく落ち着いた声ですべて言い切るという離れ業をしなやかに完遂。毒舌からの教示と励まし、そして、川上未映子さんへのラストの祝辞は、関係者を泣かせたほどだ。
というわけで、川上未映子さんをリスペクトするとともに、紅野謙介さんと上野千鶴子さんのマナーとふるまいに感激したシンポジウムだった。川上未映子さんに同行していた夫の阿部和重さんのふるまいも素敵で、特別な一日になった。
2017-11-26
amazon8人の女性作家(柳美里、吉本ばなな、赤坂真理、川上弘美、山田詠美、中上紀、江國香織、松浦理英子)へのインタビュー集。彼女たちの共通点は、たぶん「恋愛体質の女」であること。純文学とエンターテインメントの垣根をあっさり越え、「僕の独断と偶然」により、好きな小説の書き手をセレクトしたというハッピーな本である。「好きな小説の書き手」というのは、「好きな人」にとても近いように思える。
ラブレター(インタビューノート)からも、デート(実際のインタビュー)からも、後藤繁雄の個人的な思い入れが伝わってくる。彼女たちへの言葉は、一人ひとり書き分けられ、会話のトーンや距離感も微妙に異なる。尊敬する彼女、興味津々の彼女、思わず見とれてしまう彼女、タメグチモードの彼女・・・・・読み進むうちに、常時複数の愛人をもつ(ことを喜びとしている)友人を思い出した。作家であるその友人は、彼女たちに同じセリフを言わない(同じ誉め方をしない、同じ口説き方をしない)ことを自分に課している。確かにそれは、相手に対する最低限の誠実さであり、表現者としての美意識が支える控えめなプライドといえるだろう。
個々のインタビューは中途半端に長くゆるい印象で、短ければ当然省かれるような無意味でぎこちないやりとりや、どうでもいいような「その場の気分」が流れ出している。だが、この本においては、そういった部分こそが本質かもしれない。 「後藤繁雄はたくさんインタビューしてるくせに、ちっともインタビューがうまくならない。から、心配になってたくさん話してしまう」という坂本龍一のコメントを赤坂真理が紹介しているが、言い得て妙。本書を読む限りでは、彼は、まるで不器用な少年のような印象なのだ。「だって、ずっとどもりで20歳ぐらいまで人と喋れなくて、その後の人生おまけみたいなもんなんだもん」というようなインタビュアーらしからぬ受け答えを読んでいると、彼女たちの小説の書かれ方うんぬんよりも、彼自身の人生のほうに、つい興味をそそられてしまうのである。
私も、仕事でインタビューをする機会がしばしばあるが、思い入れを強く抱いている相手ほど、うまくいかないことが多い。あるいは「満足できない」。だいたい、本気で相手を知ろうとしたら、1度のインタビューなんかで完結するはずがないわけで。そして、この本には、そういったもやもやした思いがあふれている。後藤繁雄は本当に、自分の好きな人にだけインタビューしているのかもしれないなと思う。おまけみたいな人生を、永遠の少年のように楽しんでいるのだろうか。40代半ばの男性で、これほどフレキシブルな感受性をもっている人って珍しい。
彼は、この本のイントロを「これからも一生、僕はあなたたちの愛読者であることを誓います」と結んでいる。別に誓う必要なんてないのに! つまんないと思ったら、いつでも読むのをやめるというのが本当の愛じゃないの?「あなたたち」という十把一からげな言い方も失礼である・・・・・でも、そんな不器用さが好印象につながっているのも事実。8人の女性と完璧に、失礼のないようにつきあい分けている男がいたとしたら、それって、ちっとも可愛くないだろうしね。
後藤繁雄は、実のところ誰がいちばん好きなのか? いくら同じ言葉を使っていないからといったって、やっぱり、何人も並行して口説いている男を見ていると、私はどうにも落ち着かない。
2001-05-12
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