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『アメリカ―非道の大陸』 多和田葉子 / 青土社

初めてアメリカと出会う人のように、旅ができたら。

あふれる情熱がほとばしってしまうくらい好きなことは、仕事にすべきだと思う。
好きなことは仕事にしたくない、お金にしたくないという考えもあるが、情熱のレベルが強すぎる場合は、とばっちりを他人にふりかけてしまい迷惑をかけることになる。はけぐちになった人に「私にそれを向けないで、それを仕事にしたらいいのに」と思われてしまう。仕事というのは、美しいはけ口であり口実なのだ。

ほとばしる情熱を仕事にすれば、それはお金になり、批判にさらされ、打ちのめされ、削られ、乾かされ、磨かれる。そのとき初めて、あふれる情熱がほとばしってしまうくらい好きなことはソリッドな輝きを放つのだ。
というようなことを、多和田葉子の文を読むと感じる。さまざまな国で彼女は自作を朗読している。戦慄のライブだ。彼女が放つ言葉は、特別なモードで共有され、記憶される。

ドイツに住みドイツ語と日本語で小説を書いている彼女が、アメリカに目を向けはじめた。妄想と現実が入り混じる旅ほど、孤独をリアルに映す鏡はない。個人的な妄想の入りこまない現実なんてないのだから、そこを正直にすくい取る彼女の旅は、面白すぎる。でも、そう感じるということは、つまらない別の旅があるってこと。それは不自由な旅、何も感じてはいけない旅、目の前の現実とは一見無関係な妄想を抱いてはいけない旅のことだ。

初めて海外に行ったときのことを思い出した。私が選んだのは西海岸だった。初めて乗った飛行機。初めて見た道路。初めて見たビーチ。初めて食べたビーフボウル。初めて話しかけられたビバリーヒルズ。そのときのアメリカが私のアメリカのはずなのに、記憶からは消えかけている。そのひとつひとつの感覚を「アメリカ-非道の大陸」は呼び覚ましてくれる。
初めての感覚を、人は、どこまで保つことができるのだろう?

2006-12-18

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『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』 多和田葉子 / 岩波書店

2つの唇をもつ女。

ロンドン、ニューヨーク、ミラノ、パリと続いた2004-2005年秋冬コレクションがクライマックスを迎えた。面白そうなショーがたくさんあったけれど、3月3日のコムデギャルソンもそのひとつ。アシンメトリーな服に、唇が2つあるかのように見えるずれたリップメイク。テーマは「魔女の力強さ」だそう。

魔女はあなたでしょう、とデザイナーの川久保玲に突っ込みを入れたくなった。一般に魔女は媚薬や呪術を使うとされるが、本当はたぶん違う。あざとさではなく素直さによって真実を暴き、周囲を翻弄するアーティスト、それが魔女だ。川久保玲がモード界の魔女であるならば、アート界の魔女は草間彌生、ワード界の魔女は多和田葉子だと思う。

本書は、ハンブルグに住み、旅の多い日々を過ごす著者による言葉のロードムービー。私たちは何のために外国語を勉強するのか? 未知の言語はどうして楽しいのか? その答えがぜんぶ書いてある。言葉というものは、それ自体が旅なのだ。

「母語の外に出ることは、異質の音楽に身を任せることかもしれない。エクソフォニーとは、新しいシンフォニーに耳を傾けることだ」

「わたしはたくさんの言語を学習するということ自体にはそれほど興味がない。言葉そのものよりも二ヶ国語の間の狭間そのものが大切であるような気がする。私はA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない」

「人はコミュニケーションできるようになってしまったら、コミュニケーションばかりしてしまう。それはそれで良いことだが、言語にはもっと不思議な力がある。ひょっとしたら、わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない」

「大きくなってから外国語をやりたくなるのは、赤ん坊の頃の舌や唇の自由自在な動きが懐かしいからなのかもしれない。大人が毎日たくさんしゃべっていても絶対に舌のしない動き、舌の触れない場所などを探しながら、外国語の教科書をたどたどしく声を出して読んでいくのは、舌のダンスアートとして魅力的ではないか」

「なまりをなくすことは語学の目的ではない。むしろ、なまりの大切さを視界から失わないようにすることの方が大切かもしれない」

「好き嫌いをするのは言葉を習う上で大切なことだと思う。嫌いな言葉は使わない方がいい。学校給食ではないのだから、『好き嫌いしないで全部食べましょう』をモットーにしていては言語感覚が鈍ってしまう」

北ドイツの人は、自分の気持ちを偽ることをひどく嫌う傾向があり、日常生活の中で演技をすることへの反発が強いと著者は言う。店員の愛想が悪いのは、機嫌の悪いときは機嫌の悪そうな顔をしているべきであり、物を買ってくれるからといってニコニコするのは良くないと考えられているからなのだ。

「店員がぶすっとしていると腹が立つ。しかし、そう思って、日本へ行って、エレベーター・ガールなどを見ていると気持ちが悪くなり、ハンブルグに帰りたくなる」

日本は単一言語に近い国だから、2つの言語の狭間を楽しむ代わりに、演技をすることで虚構と現実の狭間を楽しむ習慣があるんじゃないだろうか? 「サイアク!」と思いながら「ステキ!」と微笑む。そのうちに、スゴイとかキテルとかビミョーとかコワカワイイとか、どっちにも解釈できる便利な言葉が見つかったりもする。

ひとつの唇で真実を暴くナイーブな魔女にとっては、2つの唇を使い分ける普通の女こそが魔女に見えるのかもしれない。コムデギャルソンのコワカワイイ魔女メイクを見て、そんなふうに思った。

2004-03-09

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『文学2001』 多和田葉子ほか / 講談社

21人の作家を比べ読み。

日本文藝家協会が編んだ21の短編集。この手のアンソロジーは、ふだん手に取らないような作家の作品が、ついでに読めてしまうのが楽しい。

石原慎太郎、佐伯一麦、高井有一、多和田葉子、津島佑子、三浦哲郎、吉村昭、田久保英夫、大道珠貴、ピスケン、赤坂真理、古山高麗雄、佐藤洋二郎、堀江敏幸、森内敏雄、川上弘美、林京子、夫馬基彦、司修、岩橋邦江、日野啓三というラインナップ。2000年の文芸誌に掲載された「名人芸」が一作ずつ披露される。

家族の話が多いが、ワンパターンというわけでもない。幽霊、舅、死んだ妻、死んだ子供、死んだ父、戦死した夫、苦悩する母、死んだ友人、原爆、ウーマンリブ、病気の恋人、冷たい母・・・大雑把にいえば、こんなテーマやアイテムが並び、いずれの作品においても、人生における静かな葛藤や憂鬱や喜びが独自の視点からあざやかに切り取られている。 短編小説のネタというのは永遠に尽きないのだろうと信じられるほどに。

ただ、年配の作家によって語られる家族の話の多くは、見知らぬ親戚が集まる盆暮れのような独特の匂いに満ちており、まとめて読むと、すこし保守的な気分になってくる。
(純文学を読んで保守的になる? そんな馬鹿な!)

ベスト3を選んでみた。 小説としての面白さや完成度の高さとはほとんど関係なく、強いて言うなら「すごく気になる部分があったベスト3」。 私は結局のところ、小説に驚きや意外性のみを求めているのだ。

<3位> 日野啓三「『ふたつの千年紀(ミレニアム)の狭間(はざま)で』落葉」
病人の話なのに明るく、しかもそれが、ごく普通のテンションであることが面白い。老境の身軽さとでもいうべきものなのか? クモ膜下出血で病院に行く夫を「笑って」見送る妻。そして、この小説のキモとなる医師。病気の憂鬱さや現代医療が抱える問題点とはまったく無縁の会話が、奇妙に素敵。
タイトルの仰々しさと、ミレニアムを考察した導入&結末は不要だと思う。たった3ページの作品だが、それでも説明的で長すぎる。

<2位> 田久保英夫「白蝋」
「隼人はまた、洗剤入りのコーヒーを飲まされた」という書き出し。女は、男を帰したくないがために、このような行為をしでかす。 こんな女の話は読みたくないし、男もバカなんじゃないの?とうんざりしたが、後半、私は、この女の魅力を生理的に理解できてしまうのである。彼がなぜ、彼女に惹かれているのかということを。
全体のトーンはやや紋切り型であるにもかかわらず、実験的な香りのする作品。

<1位> 多和田葉子「ころびねこ」
軽やかで芯のない会話から浮かびあがるホモセクシャルのナイーブさ。 言葉からの発想はこの作家の真骨頂だが、ジェンダーの曖昧さを浮き彫りにした、小説ならではのテクニックは素晴らしい。数人の会話によって成り立っている小説だが、各々の性別が不明であることに読み終わってから気付く。「僕」「あたし」「おまえ」などの文字面は、何の手がかりにもならないのである。
多和田葉子の小説は、私たちを、保守的な気分とは対極の場所に連れ出してくれる。

100%のホモセクシャルや100%のヘテロセクシャルというのは、どこか嘘っぽい。現実には、多くの人々が、性別の不確定さに揺らいでいるのではないだろうか。規範から自由になればなるほど、家族以前のあやふやな人間関係が、面白くなってくる。

2001-08-07

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2022年単行本ベスト10

●やがて忘れる過程の途中<アイオワ日記>(滝口悠生)NUMABOOKS

●くるまの娘(宇佐見りん)河出書房新社

●パパイヤ・ママイヤ(乗代雄介)小学館

●フィールダー(古谷田奈月)集英社

●明日のフリル(松澤くれは)光文社

●夏鳥たちのとまり木(奥田亜紀子)双葉社

●白鶴亮翅(多和田葉子)朝日新聞連載

●深読み日本文学(島田雅彦)集英社インターナショナル

●文藝2022年秋季号(金原ひとみ責任編集「私小説」)河出書房新社

●今日はどのかわいさでいく?メイク大全(長井かおり)日経BP

2022-12-30

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2021年文庫本ベスト10

●ハルコロ 1・2(石坂啓 / 本多勝一 / 萱野茂)岩波現代文庫

●溶ける街 透ける道(多和田葉子)講談社現代文庫

●愛さずにはいられない(藤田宜永)新潮文庫

●あちらにいる鬼(井上荒野)朝日文庫

●トヨトミの逆襲(梶山三郎)小学館文庫

●ヴァレリー 芸術と身体の哲学(伊藤亜紗)講談社学術文庫

●91歳セツの新聞ちぎり絵 ポストカードブック(木村セツ)里山社

●一汁一菜でよいという提案(土井善晴)新潮文庫

●短編画廊 絵から生まれた17の物語(ジル・D・ブロック他)ハーパーBOOKS

●合成生物学の衝撃(須田桃子)文春文庫

2021-12-30

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