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『カールステン・ニコライ展―平行線は無限のかなたで交わる』ワタリウム美術館 /

雪印より美しい、偶然の結晶。

「平行線は無限遠点で交わる」といえば、地球上の経線が極点で交わるという非ユークリッド幾何学の話。

「無限遠点」を「かなた」という一般的な言葉に翻訳するのがコピーライターの仕事だと思う。
「平行線は無限のかなたで交わる」と題されたドイツのメディア・アーティスト、カールステン・ニコライによる展示は、無と有、音と映像、サイエンスとアートなど、異質の概念が出会うピュアな瞬間を私たちに体験させてくれる。

人工雪をつくり結晶を観察する装置「スノウ・ノイズ」が印象的。大きな試験管をボックスに差し込み、ひたすら待つ。15分で結晶が見え始めるとあったが、忍耐力のない私は、カフェのあるB1のオンサンデーズに降りていった。実験室における15分後は、私にとっては無限のかなたなのだ。

30分後に戻ると小さな結晶ができていた。隣の試験管の堂々たる結晶に比べるとひ弱だが、生まれたての雪はたぶん、生まれたてというだけで美しい。しかも、見たことのない形だ。私は偶然の産物である、この不完全な形を忘れない。

カールステン・ニコライは、雪博士といわれた物理学者、中谷宇吉郎(1900-1962)の本にインスパイアされ、この作品をつくったという。中谷宇吉郎は、世界で初めて人工的に雪の結晶をつくった人。1938年に刊行された「雪」には、「針状結晶」「雲粒付結晶」「無定形」など詳細な分類図がある。雪の結晶とは、雪印マークのような「立体六花型」だけではないのだ。

「(十勝岳では)これほど美しいものが文字通り無数にあってしかも殆ど誰の目にも止らずに消えてゆくのが勿体ないような気が始終していた。そして実験室の中で何時でもこのような結晶が自由に出来たなら、雪の成因の研究などという問題をはなれても随分楽しいものであろうと考えていた」(中谷宇吉郎「雪」岩波文庫)

中谷宇吉郎の研究の引き金となったのは、雪の写真家として知られるW・A・ベントレー(1865-1931)の写真集「snow crystals」(1931)である。雪の結晶の古典というべき本だが、3000枚の結晶写真をぼーっと眺めるだけで圧倒される。最後のほうに不完全な結晶たちが集められており、その部分がやはり、いい。

カールステン・ニコライ展では、雲の写真も美しい。ドイツからイタリアに向かう飛行機から撮ったその写真を彼自身は「石庭のよう」と表現する。雲もまた偶然の産物なのだ。美しい形は、世界中で絶えず生まれては消えてゆく。これほどポジティブでシンプルでピュアな、世界の切り取り方があるだろうか?

音の実験室といわれる彼のライブ&DJにも行ってみた。ふだんは洋書店&カフェであるオンサンデーズのB1フロアが、水曜の夜にはクラブになるのだ。吹き抜け構造と書棚のおかげで音がいいし、彼が主宰するレーベル「ラスター・ノートン」のCDも揃っている。

青山や渋谷では今、セレクトショップ+カフェレストラン+DJといったスタイルが流行しており、おしゃれ系の店には、必ずターンテーブルとDJブースがある。1990年マリオ・ボッタによって建てられたワタリウム美術館は、そんな現在形の街のスタイルになじんでおり、大勢の客を動員するには非効率だが、今回の企画展には、まさにふさわしい。非効率だからこそ、ここには、いつか交わりそうな偶然が満ちている。

「偶然をコントロールしようとする試みは必ず失敗するだろう」とカールステン・ニコライは言う。世の中は、人知や計算で制御できないことだらけなのだから、無理にあがくことはないし、悲観することもない。
だって、平行線はいつか必ず交わるのだから。

(9月6日まで)

2002-06-12

『ザ・ブラック・パフォーマンス』 ゲイリー・ヒル / ワタリウム美術館 企画

ひとりで死んだUへ。

携帯電話にとどくメールは、電報のようだ。ゲイリー・ヒルのパフォーマンスに向かうタクシーの中で、かつて仲良しだった男友達のUが死んだという知らせを受け取った。メールをくれた友人は、これから新幹線でUの田舎へ向かうという。

運転手がミラー越しに心配そうな目を向けるのを見て、私は、自分が放心していることを知る。友人たちと一緒にお通夜に行くことをやめ、一人でパフォーマンス会場である明治神宮の参集殿へ向かうことを選んだのは、結局のところ、Uにとって特別な存在であり続けたかったからだ。

開場まで1時間も外で待たされた参集殿は、まさに葬儀場のようで、全員が焼香のために並んでいるみたいだった。パフォーマンスが始まっても、私の心臓は、終始どきどきしながら別のことを考えていた。

途中、死の直前のような動きと、それを冷静に見つめるもう一人の目がスクリーンに映し出され、こわくなる。私はUの死因を知らないが、聞きたくないなと思っていた。Uが死んだという唯一の真実の前では、人づてに聞く死因など無意味なことのように思われたから。

でも、その映像が延々と続くにつれ、現実的な恐怖の感覚に襲われた。死の瞬間、Uは何を考え、どんなふうに死んでいったんだろう。痛々しいほど繊細だったU、プライドが高くてかっこつけていたU、話をするときに人と目を合わせなかったU、だけど話をちゃんと聞いてくれたU…….

私は思わず声を出しそうになったが、その瞬間、ポーリーナ・ワレンバーグ=オルソンがステージに登場し、代わりに叫んでくれた。四方に向けての、振り絞るような、祈るような叫び。ゲイリー・ヒルの作品が見たかった私としては、前衛臭の強いポーリーナとのコラボレーションに終始した今回のパフォーマンスには失望するところだが、そんなことは忘れて彼女に共鳴した。人はみな、叫びたいんだ。

Uと私は、かつてさまざまな感情や感覚を共有したが、ここ数年会うこともなくなっていた。今年の夏、1度だけ、Uが初めて携帯からメールを送ってきて、くだらないやりとりをしたのが最後となった。生き残った人間は、 自分勝手に過去を引っ張り出してきて、陳腐な意味づけを試みるしかない。ずっと生きていれば二度と会わなかったかもしれない人なのに、Uを失ったことが、悲しくてたまらない。

私はこのフォルダーを、自分自身のための純粋な覚え書きとして使っているが、今回に限っては、Uに読んでもらいたくて書いた。プライベートとパブリックの境界線上に位置するこのフォルダーは、私にとって、とても不思議なもの。だからこそ、私が理解できない場所に行ってしまったUも、読んでくれそうな気がしてしまうのだ。どこからかUが携帯で「恥ずかしいからやめてくれー(笑)」とメールをくれないだろうか。

2000-12-11

『ゲイリー・ヒル 幻想空間体験展』 ワタリウム美術館 /

体で感じる映像装置。

メディア・アートの第一人者、ゲイリー・ヒルの新作ビデオ・インスタレーション展。暗闇の中で体感する5つの作品のうち、3つの作品が印象的だった。

「ウォール・ピース」は、デジタルの身体的表現。作家本人が壁に体を打ちつけながら言葉を叫び、光がフラッシュする 。そんな瞬間的映像の連続で長い文章を表現する試み。痛々しさの中に、デジタルメディアで文章を表現することの可能性が浮かびあがってくる。
 
「ローリンルームミラー」は、ビデオカメラとプロジェクターが別々に動いている部屋。カメラは部屋をくまなく撮影し、プロジェクターはそれを壁のあらゆる部分に投影する。自分に光があたり、壁に映し出されたとき、しくみがわかる。そのうちに「映ってみよう」という気になり、カメラの動きを先取りして自分から積極的に動き出す。どこにどう映るかは予測できず、カメラとプロジェクターにふりまわせらる体験は楽しい。カメラを向けられると逃げたくなるが、カメラに逃げられると追ってしまうのだ。
 
「サーチライト」は、壁に沿って水平に動く小さな映像。ぼんやりしているが、ときどき焦点が合い、水平線であることがわかる。つまり、この水平線は「いつも見えているわけではない」のだ。実際の水平線だって、天候や時間によって見えないことが多いだろう。つまり、これはとてもリアルな映像なのだ。写真や映像はいつでもくっきりと1ケ所に見えているべきもの、という固定観念に対するアンチテーゼを感じる。ゆっくりと移動する儚い水平線の映像は、とても美しい。
 
12月9日に明治神宮の参集殿でおこなわれる彼のパフォーマンスにも、ぜひ行ってみたいと思う。
 
*ワタリウム美術館で2001年1月14日まで開催中

2000-11-25

『22:19:43 – 23:04:40』園子温(監督)

見えない空気を凝視する 1

ワタリウム美術館で開催中の『Don’t Follow the Wind – Non-Visitor Center』展を見た。福島県内で行われている『Don’t Follow the Wind(DFW)』のサテライト展である。Don’t Follow the Wind(風を追うな)というタイトルは、原発事故による被曝を避けるため北西に吹く風とは逆に東京へ逃げた避難者の話に由来し、Non-Visitor Center(非案内所)というサブタイトルは、国立公園などのVisitor Center(案内所)に由来する。

DFWには12組のアーティストの作品が展示されているというが、今は見ることができない。開催場所が、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質汚染のため、一般の立ち入りが制限された帰還困難区域内にあるためだ。年間積算線量が50ミリシーベルトを越える場所があり、事故後5年以内に20ミリシーベルトを下回ることが困難と判断されたこの区域からは、約2万4千人の住民が避難し、仕事や一時帰宅などが必要な人のみ国や自治体の許可を得て入ることができる。つまりDFWは、この区域の封鎖が解除されるまで見ることのできない展覧会なのだ。

ワタリウム美術館の2階から4階を利用したサテライト展には、DFWを想像させるためのさまざまな仕掛けがあった。2階にはDFW鑑賞券や関係者が展示会場に入る際に発行された許可証、展示会場の鍵などがあり、DFWが架空のイベントではないことが理解できた。3階の「疑似体験エリア」はエレベーターで行くと封鎖されており、2階に戻って急勾配の木造仮設階段をのぼり、やぐらのような狭い高所からガラス越しに展示を見なければならない。DFWの開催場所が快適な環境にはないことを思わせた。

4階へ行くと、さらに「現地」の空気に近づいたような気がした。いや、遠ざかったというべきか。照明を落とした部屋のメインディスプレイに、園子温監督による約45分間のドキュメンタリー映像が流れていた。東京とミラノとベルリンをスカイプで結び、DFWの参加アーティスト3組の対話をリアルタイムで撮ったライブ作品。その中心である東京は夜で、あえて屋上のような風の強い場所で収録がおこなわれている。園子温監督らしいドラマチックな演出に気を取られ、この部屋が別の映像を流す複数のディスプレイに囲まれていることがわかったのはしばらく経ってから。それらは、スカイプと同じ時間に撮影された帰還困難区域のライブ映像だった。

このインスタレーションには、東京のノイジーな夜を福島と対比させる意図があるのだろう。帰還困難区域の夜は暗い穴のようで、逆にそちら側からひっそりと見つめられているようだ。夜の東京は、昼のミラノやベルリンとは簡単につながるのに、同じ時間の福島とは遮断されている。なぜなら、そこには人がいないから。同じ空を共有していても、心理的距離はヨーロッパよりも遠い。

3組のアーティストはDFWについて話していた。率直な質問が飛び交い、自分の作品や帰還困難区域に入った時の体験が交互に語られる。ミラノのアーティストは、以前入ったチェルノブイリの印象と比較していた。放置されゴーストタウン化したチェルノブイリに比べ、多少なりとも人の往き来がある福島には、何とかしようとする意志のようなものが感じられたという。このような未来への思いをつなぐのがDFWの役割なのだろう。

DFWの展示会場は、荒れたままの民家であるらしい。福島に関する報道が減っていることもあり、現地の人々は概ね協力的だという。忘れたい人、思い出したくない人、報道に辟易した人も、チェルノブイリのような未来は望まないはずだ。これまでの報道が取りこぼしてきたのは、たとえば、何事も起きていないかのように見える静かな夜を映し続けることだったりするのではないかと思った。

2015-10-1