「プラダ」の検索結果

『プラダ青山東京』 ヘルツォーク&ド・ムーロン / プラダ財団

ショッピングより、建物ウォッチング。

東京の風景は、どんどん変わる。
カフェもレストランもブティックも美術館も、あっという間に消滅してしまう。いつも工事中だ。今度は何ができるんだろう?以前ここには何があったんだっけ?そんなことを考えることすら面倒になってくる。そのうち、多くを期待しないようになった。万が一愛着をもってしまったりしたら、裏切られたときに、悲しすぎるから。

表参道から根津美術館に向かう「みゆき通り」に、6月7日、プラダ青山店がオープンした。この建物は、建設中のときから面白かったし、既に記憶に残る建物となってしまった。周囲の建物に特別な思い入れをもたないようにしている私がそんなふうに思うのだから、世界中の人々がわざわざ見学に来たっておかしくない。
クリスタルのように透明で尖っているから?全体を覆うひし形の格子から中の様子がゆがんで見えるから?単に意表をついた建物だから?ひとついえるのは、ブランドショップにありがちな権威的な匂いが感じられないこと。四角四面な重厚さ、威圧感、閉鎖性の対極にある軽やかさを建物全体で実現してしまった。外壁なしに「インテリアのみ」で成立しているような印象だ。

この店で、今のところ最も売れている商品は、地下1階の写真集コーナーにあるこの本である。
というのは私の勝手な想像だが、設計を担当したスイスの建築事務所、ヘルツォーク&ド・ムーロンによる写真とドローイング集は、実際の建物よりも面白い。「プラダ青山東京」のプロジェクトがどのように進行したのか、その紆余曲折の経緯が赤裸々に書かれており、日本語訳も付いている。

建設予定地を見た彼らはこう思う。
「付近は多種多様な建物が共存していたので、周囲の環境に合うような建物を建てる必要性からわれわれは全く解放された」
「空き地は全くなかった。ありとあらゆる土地が角から角まで利用されていた」
そして、高くてスリムな目立つ建物にしたいと漠然と思う。
「付近の建物のような、ずんぐりとしゃがんだ格好で街にちょこんとすわっている感じのものは建てたくはなかった」・・・

この本には「プラダ青山東京」に関するあらゆるアイディアが詰まっており、当初のピュアな発想の断片が、どのように具現化したのかを見届けることができる。このプロセスこそが建築の面白さであるならば、完成した建物を見ることの面白さはその何分の一でしかない。

建物の中は実践的な売り場であるから、スタッフにとって使い勝手はいいのかなとか、白い壁やじゅうたんの汚れ対策は大変だろうなとか、建物全体にたちこめる独特の匂いが気になったりしてしまうのだ。まあ、それ以前に、商品に目を奪われてしまうわけだけど―

外の広場に出ると、プラダのロゴ入り紙袋を持った私に、フジテレビのクルーが声をかけてきた。プラダフリークを撮影しようという魂胆らしいが、私のお買い物はこの本だけ。しかも、彼らにとって都合の悪いことには、プラダ製品を1点も身につけていない。
どうして私に?と思って周囲を見回すと、紙袋を手に建物から出てくる人は、とっても少ないのであった。

2003-06-17

『ワサップ!』 ラリー・クラーク(監督) /

プラダを着ない天使たち。

サロンボーイ系とお兄系とパンク系がニアミスしたって、東京では「それが何か?」って感じだ。ファッションの違いは趣味の違いと認識されるだけで、深刻な生存競争につながることはない。だけど、移民の多いロサンゼルスのような都市では、ファッションが肌の色と同じように判断され、階級意識を浮き彫りにする。

「ワサップ!」の主役は、ロサンゼルスのサウス・セントラルで暮らす7人のティーンエイジャーたち。全員がラティーノ(ラテンアメリカ系の移民)で、パンクで、スケボー好き。つまり、とっても目立つ存在だ。なぜなら、この街の主流は、黒人のヒップホッパーだから。タイトなジーンズとTシャツに身を包み、スケボーで登校する彼らは、ヒップホッパーたちに「ワサップ、ロッカーズ!」(ロッカーたち、元気か!)と絡まれ、「ちっちぇーTシャツ!」とバカにされるのである。

そう、この映画はファッション映画。地元でも仲間が殺されちゃったりする日々なのに、彼らはビバリーヒルズに足を伸ばす。さて、どうなるか? まずは警官に咎められ、一人が拉致される。次に、ビバリーヒルズ高校のお坊ちゃまたちに攻撃される。挙句の果てには、クリント・イーストウッドみたいな映画監督に、銃を向けられる。

しかし、彼らを受け入れる人種もいる。ビバリーヒルズ高校の美人姉妹、有閑マダム、そして、彼女たちの使用人であるラティーノたち。女は、先入観なしで、男の「見た目の美しさ」を評価できるのである。とりわけ、ルックスのいいジョナサンとキコの二人はモテモテだ。

いちばん面白いのは、たまたま彼らが逃げる途中で紛れ込んだ中庭でのパーティーシーン。ジェレミー・スコット(実物)を始めとするセレブなファッションビープルたちもまた、彼らを一目で気に入る。ラティーノがスケボーでパンク。それだけで絵になるのである。浮いているのである。マイナーなのである。かっこいいのである。ラリー・クラークだって、そうやって、素人である彼らを街でスカウトしたのだろう。ファッションっていうのは、なんて危険なんだろう。それだけで、つかまったり、殺されたり、可愛がられたり、映画に出なきゃなんないはめになるのだから。

「ワサップ!」は、こうしてファッションの本質をえぐる。人種のるつぼの中でむきだしにされる、そのわかりやすい記号性と危険性を。肌の色と同じくらい自然で危険で面白いファッションに目をつけ、素人のティーンエイジャーに心を開かせ、リアルな演技をさせたラリー・クラークの手腕は、毎度のことながら、さすがなのだ。

2007-02-27

amazon

『LP MAGAZINE numero2/Spring Summer 06』 / LA PERLA

表参道 VS モンテナポレオーネ通り。

取材を兼ねて、秋冬コレクション開催中のミラノへ行った。モデルやファッション関係者も多いビジネスの雰囲気は楽しいが、そのうちふと思う。これじゃあ東京にいるのと大して変わらない?

ブランド店が並ぶモンテナポレオーネ通りを歩いても、なんだか表参道を歩いているみたい。今や有名ブランドの多くが表参道近辺に進出し、店を構えているからだ。だけど、圧倒的に違うのは建物。石造りの古い建物が続くモンテナポレオーネ通りには、それだけでシックな風格が感じられる。

一方、表参道はといえば、統一感のない建物が無秩序に並び、我こそが目立て!という感じ。新しい建物が次々にできるから、目立てる期間は短く、エスキス表参道なんて、まだ4年ちょっとなのに解体してしまった。この中のいくつかのブランドは表参道ヒルズに移ったことになるわけだが、来年は、ここにどんな目新しいビルができるんだろう?

だが、東京とミラノの本質的な違いは建物じゃない。世界一のブランド輸入都市、東京とは異なり、ミラノの店はほとんどが自国ブランドで、レストランもカフェもブティックもイタリアン。自国の文化で埋め尽くされているというわけだ。

中心街に近い、流行りのレストランを予約してみたものの、場所がわからなくなってしまった。仕事帰りっぽいミラネーゼに聞いたら「この店をどうして知ったの!? ここは超おいしいわよ。一緒に来て」と案内してくれた。
最近、表参道近辺にもアジア方面からの旅行者が多く、私もよく店の場所を聞かれる。でも「この店をどうして知ったの!?」と驚いたりはしない。プラダもコルソコモもレクレルールも輸入ブランドであり、アジアからのお客様にとっても私にとっても、それらは同じ「異国文化」なのだ。もしも骨董品屋や蕎麦屋の場所を聞かれたら、私だって「この店をどうして知ったの!?」と思わず聞き返してしまうかも。

「LP MAGAZINE」は、イタリアのランジェリーブランドLA PERLAが発行している伊英 2か国語併記の雑誌だ。最新号は高級感のあるシルバーの装丁。春夏ランジェリーの紹介やショーのバックステージ、自社製品のハンドメイドへのこだわりやインテリアに関する記事なんかもある。

中でも興味深いのが、イタリアで暮らすことを選んだ日本人女性アーティストへのインタビュー。イチグチケイコ(漫画家)、スズキミオ(インテリアデザイナー)、スナガワマユミ(シェフ)、オガタルリエ(ソプラノ歌手)の4人に「日本へ持って帰りたいおみやげは何か?」「忘れられない日本の記憶は何か?」などと聞いている。

「日本へ持って帰りたいおみやげ」として彼女たちが挙げたのは、長い休暇、ゆっくり楽しむ食事、安くて美味しい肉や野菜、太陽、活気、温かいイルミネーション、社交場としてのバール、エスプレッソマシーン、生ハム、ワイン、パルミジャーノレジャーノ、など。
一方、「忘れられない日本の記憶」としては、四季、花、温泉、桜、新緑、紅葉、新幹線、効率的なサービス、時間厳守、ストがないこと、など。
イタリアのよさは、ゆとりと活気と食文化。日本のよさは、四季折々の自然の美しさと便利さ。そんなふうにまとめられるだろうか。

イタリア在住35年のソプラノ歌手、オガタルリエさんが「忘れられない日本の記憶」のひとつとして「セミの声」を挙げているのを見て気がついた。
表参道にはけやき並木があり、そのせいで、夏にはセミが鳴く。これらは、石造りの建物が並ぶばかりのモンテナポレオーネ通りには、ないものだ。

表参道ヒルズを低層にし、けやき並木を生かすことを何よりも優先した安藤忠雄は、正しいのだ。

2006-03-10