上着を捨てても、誇りは捨てない。
カフカの未完の長編「失踪者」(旧題「アメリカ」)を映画化した作品。
ドイツ人青年カール・ロスマンは、故郷を追われ、船で単身ニューヨークへ渡る。世間知らずで誇り高い彼が、理不尽な階級社会にぶつかっていく物語だ。
彼が最初に出会うのは、船での待遇に不満を持つ火夫。デッキから聞こえるアメリカ国家に耳を傾ける姿が印象的だ。火夫は演奏が終わるまで全く動かないし、一言もしゃべらないから、カール・ロスマンも私たちも、船室でこの曲を最初から最後まで一緒に聴いているしかない。デッキの様子は見えないのに、船旅をしている気分になる。
カール・ロスマンは「いいとこのお坊ちゃん」である。身なりがよく、外見と主張が一致している当初は何の問題もないが、次第に不当な扱いを受けるようになる。金持ちの叔父のもとを去った後も、ホテルの料理長の女に見初められエレベーターボーイの職を得るものの、道中に知り合った2人の貧しい悪友に足を引っ張られ、首になってしまう。そこからの転落は早い。いったん職と上着を失ったら、それを取り戻すのは大変なのだ。
だが、彼は誇りを失わない。自由になれば、外に出れば、何とかなると信じている。そして、そのことは圧倒的に正しい。人間は、誇りさえ失わなければ、たぶん何を失ったって大丈夫なのだから。
彼の周囲は、壁のように見える。彼を認める人、認めない人、見捨てる人、たかる人、すがる人、巻き込む人・・・すべてが類型的な役割を演じているようにしか見えない。塗りこめられた壁のような状況の中で、彼だけが人間らしく生き、あがいている。
深夜、殴られてバルコニーに閉じ込められた彼は、別のバルコニーでコーヒーを飲みながら勉強する男を見る。昼間はデパートで働いているというその男も現状に不満を抱いているが、そこに就職するだけでも大変なのだとカール・ロスマンに話す。バルコニーとバルコニーの距離は、遠くもないが、近くもない。
カール・ロスマンは少しずつ汚れていく。彼に蓄積する汚れ。それは階級社会を生き抜くための賢さにつながっていくのだろうか。賢くなるとは、汚れることなのだろうか。若さと誇りだけではだめなのか。汚れないで、と思う。
そんな時、彼は1枚の張り紙と出会い、オクラホマへ向かう。列車の移動シーンで映画は終わるが、ああそうか、彼には旅が足りなかったのだと納得できるくらい延々と車窓風景が続く。この風景の美しさといったら。
エンドロールの後も、まだ続く。このままずっと見ていたい。ずっと移動していたい。振り返らずに、ずっとどこかを目指していたい。
すべての映画が、こんなふうに終わればいいのに。すべての人生が、こんなふうに続けばいいのに。
*1983-84 西ドイツ=フランス合作
*「ストローブ=ユイレの軌跡1962-2000」アテネ・フランセ文化センターで開催中
2002-12-04