どのワインがいちばん美味しいか?
6人の直木賞作家が、ワインをテーマに短編小説を書いた。
各作家が選んだワインは以下の通りである。
石田衣良・・・岩の原ワイン
角田光代・・・トカイ・アスー・ヒツル1995・6プトニュス
重松清・・・シャトー・ベイシュヴェル1962
篠田節子・・・シュヴァリエ・モンラッシェ1990
藤田宜永・・・シャトー・オー・ブリオン1971
唯川恵・・・登美
いちばん美味しかったのは、角田光代だ。彼女の小説だけは、意味よりも前に味がある。他の人のワインは、意味ありきなのだ。この固定観念は何? ワインというのは格式があって気取ったものである、というようなイメージに縛られている。小説という自由な形式なのに、みんなワインが嫌いなんだろうか? まずはラベルがあって、うんちくや先入観があって、それから味がある。最初から結論がわかっているような感じで世界が広がらず、どこへも行けない。
角田光代の小説「トカイ行き」は、まず味があって、それから「トカイ」というラベルがあって、そこから物語が紡がれ、最終的に深い意味につながってゆく。想像力が無限に広がり、思いがけない地平に着地するのだ。要するに、彼女はお酒の魅力を知っている。たぶん酒好きで、酒飲みだ。ワインというテーマなど与えられたら、美味しそうなシチュエーションが無限に浮かぶのだろうし、その小説は、読者を別の場所へかっさらってくれる。これが小説だし、これがお酒だ。
「トカイ行き」の主人公である「私」は、8年つきあった新堂くんにふられ、仕事も辞めて出かけたハンガリー旅行で、神田均という日本人に出会う。
「なんとなく彼を好ましく思っている自分に気がついた。もちろんそれは恋ではないし、友だちになりたいという気持ちとも違う。うらやましい、というのがいちばん近かった。昨日会ったばかりの、どこへでも軽々と移動していくらしい男の子を、私はうらやましく思っていた。その軽々しい足取りを、ではなく、たぶん、彼の揺るぎなさみたいなものを」
ワインに接するときと同じだ。肩書きや名前や彼がなぜそこにいるかなどという理由は、あとからやってくる。こんな人と、旅先ですれちがって、うらやましく思えて、少しだけ自分の中にそれを分けてもらう。これ以上、素敵な体験があるだろうか?
旅とトカイ・アスーと神田均の魅力があいまって、甘い余韻にしびれてしまう。
2006-09-12
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