2025年 の投稿一覧

『ミゼリコルディア』アラン・ギロディ(監督)

一人ひとりみな異なっているのだから、周囲の人間との違いは、その個別の人間が表現するしかない。 ― パトリシア・ハイスミス

『ミゼリコルディア』(2024)は、アラン・ギロディ監督の最新作。フランスで動員23万人を突破し、21か国での公開が決まり、インディペンデント映画としては異例の大ヒットを記録しているという。日本では過去の2作品と共にシアター・イメージフォーラムで公開中だが、これとは別の3作品が間もなく東京日仏学院エスパス・イマージュで上映される。まるで10年前にグザヴィエ・ドラン監督の作品が一挙に上映されたときのようなお祭りモードだ。

しかも『ミゼリコルディア』は、グザヴィエ・ドランの『トム・アット・ザ・ファーム』によく似ている。

『ミゼリコルディア』の主人公は、好青年ジェレミー。彼はかつて働いていたパン屋の店主ジャン・ピエールの葬儀に出席するため、トゥールーズから故郷の村へクルマで向かう。ジャン・ピエールを慕っていたジェレミーは、故人の妻が暮らす家に泊めてもらうが、独立して世帯をもつ息子ヴァンサンは曲者で、ジェレミーの滞在を快く思わず暴力的な態度をとる―

『トム・アット・ザ・ファーム』の主人公は、好青年トム。彼は職場の同僚だったギヨームの葬儀に出席するため、モントリオールから田舎の農場へクルマで向かう。ギヨームの恋人でもあったトムは、故人の母と兄が暮らす家に泊めてもらうが、農場を継いだ兄フランシスは曲者で、トムに高圧的な態度をとり支配していく―

共通点はたくさんある。主人公が都会から地方へとクルマを走らせ、大自然に囲まれた閉塞感のある土地へと没入していくこと。歓迎されていないのになぜか逃げ出さず、滞在が長引いていくこと。滞在中に同性である故人の服を着ていること。複数の人物の中に愛や嫉妬や疑念が渦巻いていくこと。

ところが、いわくありげな雰囲気や背景こそ似ているものの、蓋を開ければ、この2作品が指向する境地はまったく異なっていた。『トム・アット・ザ・ファーム』がホモセクシュアル(同性愛)を繊細に取り扱った息詰まるようなサスペンスであるのに対し、『ミゼリコルディア』はパンセクシュアル(全性愛)をあっけらかんと見せつけるモラルレスなコメディだったのだ。

ミゼリコルディアとは「慈悲」の意味で、最もぶっ飛んだキャラクターである神父が鍵を握る。一体何を見せられているのかと大いに戸惑うが、これほど型破りで常軌を逸していながら希望に満ちた人間ドラマは稀有。愛は、自分や相手の「年齢」や「性別」や「容姿」や「素行」に関係なく、成就するのである。だから、愛する人がいるなら、ためらう必要もあきらめる必要もない。最もあきらめる必要があると思われる片思いにすら、この映画は度肝を抜くようなゴーサインを出してみせる。愛に不可能はないのだと。

2025-3-31

『愛を耕すひと』ニコライ・アーセル(監督)

勇気とは、自分で引いた境界線を溶かすことである。― ブレイディみかこ

予告編を見ても、主演のマッツ・ミケルセンが松重豊にそっくりだなとしか思わなかったし、彼が自ら主演作を「見てね!」と日本語でPRする動画にも心を動かされなかった。そもそも私は、マッツ・ミケルセンのファンではない。

しかし、この映画の本編を見てしまったらもう、ファンどころの騒ぎではない。これは「北欧の至宝」といわれるマッツの微妙な表情をひたすら見守り、読み取るための2時間8分だ。基本、ニコリともしない憮然とした態度で、「孤独のグルメ」のようにモノローグのアフレコで心情を吐露することもないから、ごくわずかな表情筋の変化も見逃せない。この抑制された演技が、息を呑むほどすばらしいのだ。

コペンハーゲン生まれのマッツが演じるのは、18世紀のデンマーク開拓史に残る実在の人物、ルドヴィ・ケーレン大尉。彼は貧しい退役軍人でありながら、たった一人で荒野を開拓すべく名乗りをあげる。「愛を耕すひと」というのは口あたりの良いネタバレなタイトルで、原題は「Bastarden」。私生児、まがいもの、ろくでなし、などの意味があり、彼の出自を表している。

軍隊で25年かけて大尉まで成り上がった貧しい孤高の野心家が、国王から貴族の称号を得たいがために、これまで不可能といわれてきた難題に挑むのである。スムーズに事が進むわけがない。過酷な自然環境に加え、地主と言い張る貴族の執拗かつ残酷きわまりない妨害が待っている。しかも開拓には人手が必要。マッツは困窮した外国人を無報酬で働かせるなど、やや粗暴なふるまいをしながらも、彼らと共に暮らす中で、静かに変化していく。

まさに、荒れた土地を耕しながら自らの荒んだ心も耕してしまうわけだが、彼が最終的に作物や愛を実らせることができるのかは、ここでは言及しない。

言及したいのは、マッツは、耕される以前から既にいい男だったってこと。信念があり筋が通っているし、ちゃらくないから、モテる。アラカンのしがない退役軍人が、若い貴族の女性にアプローチされるなんて普通に考えるとありえないが、そんな非現実な設定を違和感なくキメてくれるのがマッツの実力だ。女性とのコミュニケーションに慣れていないウブさがいいし、愛されたら責任をとる誠実さもたまらない。貧しいから正装といったら軍服しかないわけだが、その一張羅のかっこよさといったら。こんな男がいたら、もはや年齢や身分などどうでもよくなりそうだ。

マッツの軍人らしい無骨さは、少しずつ耕されて柔らかくなっていく。人生とは、間違いだらけの選択をしながらも、時とともに本当に大切なこと、本当に大切な人に気づいていく道のりだとわかる。ぜったいに譲れなかったものが、譲れるようになる。ひどい出会い方をした人が、かけがえのない人になっていく。マッツのように信念を貫くことが、逆に柔軟性を得ることにつながるなんて、人生、捨てたもんじゃない。ある重要なシーンで彼が放つ「後悔している」というセリフには泣けた。マッツにそんなことを言われて、落ちない人間はいないだろう。

もっともっとマッツの表情を見ていたい。もっともっと明るめの表情も見てみたい。カメラに向かって愛想よく「見てね!」とは言ってほしくないけれど。

2025-2-19