2013年 の投稿一覧

『東ベルリンから来た女』クリスティアン・ペッツォルト(監督)

心をゆるす瞬間。

遠い世界から、ふいに答えはやってくる。それが映画の魅力だと思う。
原題は『バルバラ』。舞台は1980年の旧東ドイツ。

バルバラが窓から見下ろされる冒頭のシーンは、キェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』の覗きを思わせる。彼女は医者として東ベルリンの大病院に勤務していたが、西ドイツへ移住申請したことで当局に目をつけられ、バルト海沿岸の静かな町へ左遷されてきた。私たちは、そんな彼女のメンタリティを強い視線と態度で知る。バルバラは覗かれる側の人間ではないのだ。

バルバラを演じるのはニーナ・ホス。黒木メイサのKATEのCMにはゴールドのアイシャドーを買わせる力があるが、バルバラの目ヂカラは私たちにどう作用するか。彼女がベルリンの壁を越えるのは難しいが、視線は容易に国境を越え、世界へ届く。

美しさは緊張感あふれる状況に宿るのだろう。個人の自由と尊厳がおびやかされ、仕事も恋愛もどうなるかという日常において、バルバラの視線はただならぬ強さを保ち続ける。遊んだりふざけたりしている場合ではない。

特殊な状況の中、彼女は何を優先し、何に心を開き、いつどんなタイミングで心をゆるすのか。ぎりぎりの状況と、絶え間なく訪れる決断の瞬間から一瞬も目が離せない。絵にかいたような人間関係のモデルがまずあって、セオリー通りにそこに近づこうとすることの貧しさと傲慢さが暴かれる。

特殊な状況でなくても、人と人は簡単にわかりあえないんじゃないかと思う。すぐには心を開けないし嘘だってつく。別れも告げずに消えてしまうかもしれない。それが基本なのだ。
アン・リーの映画『ライフ・オブ・パイ』の中の「愛とは手放すこと」という言葉は、この映画にもつながっている。決着のカタルシスなんてないという真実。日々のコミュニケーションの断片は、どれほど奇跡的でかけがえのないものだろう。

絶望することはない。すべての自由は心の中にある。愛も自由も尊厳も、心に秘めることで純度が増し、本当のことが見えてくる。簡単に考えてはいけないし、しゃべりすぎてはいけないのだと映画は教えてくれる。

笑わないだけで女は美しくなるのでは、と思うほどバルバラの演技は私たちを釘づけにする。笑顔や可愛さの対極には、これほど深遠な世界が広がっているのだ。アイシャドーでできることには限りがあり、表情は内面の問題。私たちは愛想としての笑顔を大切と思わされ過ぎているけれど、真の美しさを追求するなら、より深い世界の側を掘り下げるべきである。

誰とでもすぐ仲良くなるって、とてつもなくつまらないことなんじゃないか? それ以前に怖いこと。憂慮すべきは1980年の旧東ドイツじゃない。今のこっちだ。バルバラからは羨ましさしか感じない。こっちでは今のところ、KATEのゴールディッシュアイズをクールに決めてみるしかない。

2013-02-24

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『私が描いた人は』いとうせいこう

愛する。憎む。絵を描く。

家族の写真を年賀状にするのはどうかと話題になった時代があるけれど、今は毎日それがある。インターネット上は、幸せ自慢大会で大盛況。だけど私たちは、いつだって何かを探しているから、どんなに傷ついても人とのつながりをやめない。

ゲルハルト・リヒターは言う。「数えきれないほどの風景を見るが、写真に撮るのは 10万分の1であり、作品として描くのは写真に撮られた風景の100分の1である。つまり、はっきり特定のものを探しているのである」

六本木のWAKO WARKS OF ARTでリヒターの最新作「strip paintings 2012」を見た。多色の細いホリゾンタルストライプが美しい目眩を起こさせる作品群で、絵画を複雑にデジタル加工しプリントしたものという。もとの絵はリヒターが描いたのだからものすごく上手で美しい絵だったことは間違いない。それを複雑にデジタル化すると、非人間的な美しいストライプになるというわけだ。つまり美しいものは徹底的に解体しても別の意味で美しい。なんて希望的なんだ。これは、デジタルワールドのなれの果ての夢かもしれない。

人の話を聞いているのは楽しいけれど、自分の話をしているとどんどんつまらなくなっていく。その理由が昨日わかった。自分の話は知っていることばかりだから。そんな大事なことを教えてくれた人は22才。たわいない話を未知の勘でしゃべる人だった。自由なんだと思った。他人に無理に合わせようとせず、ごく自然に言葉を発し、人と会うことを楽しみながら生きている。大きな会社にこういう人はいない。いられない。健康診断を受けないと給料が下がる会社があるんだって。そういう会社のサービスってどんなものなのか。粒ぞろいで均一な笑顔が心地よいサービス?

広告代理店には変わった人がいる。携帯電話の広告やるのに携帯もってない人がいた。女の子のファッションの広告やるのに女の子のファッションに興味ないと言い放つ人がいた。そんなんでよく仕事できるなー、あるいみ贅沢だよなーって思いながら、私はそういう人とやった仕事が忘れられない。別にいいじゃん。興味なんかなくたって。現物なんかなくなって。愛なんかなくたって。情報を得すぎると似たようなものしかつくれないと、深澤直人も言っている。

今ってさあ、ソーシャルだしオープンだしフリーだし、イベントの参加もメンションでっていう時代。ていうかメンションって何。なんで宣伝しなくちゃいけないの。行けば写真もアップされちゃう。写真だめな人は前もっていっといてとかアレルギー対応みたい。私と一緒に遊んでいる人は、GPSで居場所を発信し続けている。どこで何食べてどうしたかを素敵な写真と文章とともに。その器用さはどこにつながっていくのだろう。だけど、これだけオープンな時代なのに意外な部分で閉鎖的。閉め出された人はきついんじゃないかと思う。ちっとも温かい時代じゃない。

私だってクルマに乗るとスマホをオンにする。音声付きのカーナビをスタートする。とっても便利。GPSをオンにしたまま写真を撮る。不安になる。この写真はいずれどこかで世界とつながっちゃうのかなって。

コミュニケーションがうまくできない場合は、絵が描けるといい。愛でもなく憎しみでもなく、描きたくなるような絵ってどんな絵だろう。そうやってもう、ずっと考えている小説がある。短い小説だ。「文藝2012年夏号」と「文芸ブルータス」に掲載された、いとうせいこうの『私が描いた人は』という作品。

「文藝2013年春号」のいとうせいこう特集には『想像ラジオ』という作品が掲載されていたけれど、想像にしては具体的すぎて、想像力がかきたてられない点が残念だった。みんなとつながりたい人には『想像ラジオ』がおすすめだけど、勝手に静かに想像したい人には『私が描いた人は』がおすすめだ。そろそろファッション界に戻ってくるんじゃないかと噂されているジョン・ガリアーノのように、いとうせいこうは文学の世界を賛否両論の渦でかきまぜてくれるだろう。

『私が描いた人は』は、日曜画家の「私」が「PQ」という友人の絵を7枚の連作として描く。「私」は「PQ」の何に惹かれたのか。尊敬していたのか。面白がっていたのか。男同士の友情か。よくわからない。「私」はあいまいなのだ。しかし「私」はとにかく堕天使のようなPQの思い出を宗教画のような絵画として定着させた。あいまいな人が、あいまいな思いで描きたくなる絵とはどういうものなのか。それがこの小説だ。

心が通じ合っている関係とはいえないけれど、通じ合った瞬間はあったかもしれなくて、一度は再会する。でも、もう会えないかもしれなくて、記憶だけが残る。こういう関係の決着のつけ方として、7枚の絵はちょうどいいのかもしれない。絵は、ゆるやかであいまいなモードになじむ。絵を描くとは、愛と執着のはざまの、時を隔てた遠く静かな空白地帯をうめていくような行為だと思う。相手が生きていても死んでいても、人と人は、そうやってずっとコミュニケーションできるのだろう。

物語というものは点と点を結んで
最後に何かが現れる絵のようなもので
僕の物語もそれだ
僕という人間がひとつの点から別の点へ移る
だが何も大して変わるわけじゃない
(ジム・ジャームッシュ「パーマネント・バケーション」)

2013-01-31

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『駆ける少年』アミール・ナデリ(監督)

親のない少年は、動くものを追いかけた。

1985年、ナント三大陸映画祭でグランプリを受賞した「伝説のイラン映画」が日本で劇場公開されている。

11歳のアミル少年は、ペルシャ湾の港町で空き瓶を拾い、水を売り、靴を磨くことでお金を得ている。親はいないが、友だちと走る競争をし、サッカーに興じる。学校へは行かず廃船に寝泊まりし、きれいな船や飛行機を見ると興奮して奇声を発し、全身で喜びを表現する。

ストリートチルドレンが過酷な日々をどうサバイバルしていくか。そういう話なのかと思ったら違っていた。無限のエネルギーとほとばしる喜びにまつわる映画。その臨場感! 上から目線じゃない。アミル少年は、アミール・ナデリ監督の少年時代なのだ。

水の代金を払わずに去る自転車男を、どこまでも追うアミル。たった1リアルを払ってもらうためだが、ようやくアミルが追いつき、男に手を差し出すところから、普通はケンカが始まるでしょう。「おっさん、払えよ!」「うるせえなガキ、払うかよ!」みたいに。しかしそうじゃない。緊張感あふれるこのシーンにおける男の意外な行動と、さらに意外なアミルの表情が示すのは、金銭的争いとは別次元の喜びである。私たちは、そんな大切なことを11歳のストリートチルドレンから学んでしまうんだ。

アミルは走らずにはいられない。なぜか。速く走れるからだ。その才能は、夢を叶える手段に直結している。つまり、才能を生かして生きていけるという確信で、これほど幸せなことがあるだろうか。彼の発する奇声は、勝利の雄叫び。走ることが、自分の大好きな世界につながっていく予感。やるべきことは他人との争いではなく、自分との戦い。私たちには、こんなエネルギーがあるだろうか。

飛行機の写真を見るために、アミルは港の売店で外国の雑誌を買うが、売店の男に「ペルシャ語の雑誌のほうが安いし、字も読めるだろう」と言われてしまう。「ペルシャ語も読めない」とアミルは言いつつ、自分が教育を受けていない事実に直面する。その後、小学校へ直談判しに行くが、彼が学校へ通い、勉強するシーンは凄まじい。心の底から勉強したいという思いは、これほどの迫力なのかと、そのエネルギーにまたもや打ちのめされる。

アミルは読み書きをマスターし、町を出るチャンスをつかむだろう。いつも飛行機を見上げ、船を見て全身で喜びを表現しているこの少年は、一体どんな大人になるんだろう。と思っていたら、答えは目の前に! アミール・ナデリ監督は連日、映画館で観客を迎えていたのである。67歳になったアミル少年は、パンフレットにサインをし、力強く握手してくれた。

昨年12月29日の日本経済新聞文化面に、監督はこう書いている。

「映画で描いてないのは私が毎日のように映画を見ていたということだ。5歳のころ、野外上映を壁に登って見ていた」

「6歳から映画館でコーラを売り、チラシを配った。寒い夜は映写室で寝た」

「小学校を終えるとすぐテヘランに出た。映画監督になるためだ。制作会社でタバコなどを買ってくるおつかいから始めた。なぜ入れたかというと、足が速かったからだ」

その後ロンドンへ行き、イランと米国で成功をおさめるが、当時この映画を撮った理由は、1980年にイラン・イラク戦争が始まり、親を失ったストリートチルドレンが急増したため。戦火の中、命がけの撮影だったそうだが、映画の評判はよく、アミル少年は希望の象徴になり、当時イランで生まれた多くの子供がアミルと名付けられたという。

2013-01-04

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