世界を救うかもしれない現実逃避。
これのどこがリアルなの?と突っ込みどころ満載なオープニング。だが結果的に、見たことのないリアルワールドへ連れ去られた。見たことのないリアルワールド? それはゾンビあり首長竜ありの見果てぬ白日夢。ものごとに整合性なんてないという、意識下のリアルを映像化してくれた。「きみを救うため、ぼくは何度でもきみの〈頭の中〉へ入っていく」という宣伝コピーは的確。そう、この映画の要は、機械を通じて昏睡患者と意志の疎通をおこなう先端医療技術「センシング」なのだ。大真面目なのにどこかゲーム的。ひ弱な愛の冒険物語にふさわしすぎる舞台装置。
佐藤健と綾瀬はるかの天然としかいいようのないさらっとした演技を、物語の構造が100%生かし切る。最終的に真逆になってしまうアンドロジナス的展開を、トゥーマッチな熱さとは対極の爽やかさで演じられるこの2人はすごいし、こんな難題を彼らに委ねた監督もすごい。現代に救いがあるとしたら、こんな軽やかさでしょう。本質を追求しないまま、大切なことの片鱗を察知する器用さ。ふだんはゲーム的日常で体力温存しているけど、いざとなれば外で遊ぶし誰かを助けたりもするよってノリの草食獣。
「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した原作とは、エレメントの意味や役割が異なるが、空気感はきっちり共有している。まるで原作と映画が「センシング」をおこなっているかのよう。共有している空気感のひとつが明るさで、たとえば佐藤健が運転するクルマ。フロントガラスをトップまで広くとった透明カプセルのようなシトロエンC3をこの映画に使うのはなぜ? おどろおどろしい作品が生まれるデスクや、昏睡状態の患者が眠る病室のベッドにまぶしいほどの陽光が降り注いでいるのはなぜ? 普通は影になっている部分、暗くしたくなる部分がやけに明るいのだ。黒沢清監督は、陰影やかっこよさやクールさやセクシーさや難解さに反旗を翻し、白日のもとにさらして観客の目を楽しませる。
キーワードは、内面のない登場人物を意味する「フィロソフィカルゾンビ」。一体誰がフィロソフィカルゾンビなのか。過去と現在、自分と他人の境界が曖昧になる。「ミステリーズ 運命のリスボン」(byラウス・ルイス)さながらの、時間をめぐるミステリー。思い込みの強さが、記憶を新たに塗り替える。自ら封印したナイーブな真実を掘り返すことに一体どんな意味が? 意識の混濁自体は怖いけど、愛する人とともに記憶の風景を探しに行くことや、愛する人と自分の意識が混ざりあうのは、たぶん怖くない。自分と相手の区別がつかなくなるようなことが愛だし、相手の経験や痛みを自分のことみたいに感じることこそがリアルなのだから。自分より相手を信じてみたくなる甘美な愛の本質を、こんなにさりげなく描いてしまった他力本願な現実逃避映画!
ピンチのときは、きっと誰かが頭の中へ入って、助けてくれるだろう。なのに愚かな自分は、さんざん心配かけておきながら、まるで自分が誰かを助けるための困難な旅に出た気分になっているのだろう。頭の中に入らなくたって、センシングなんてしなくたって、いつだって愛はそういうものだ。どっちがどっちでどっちを助けようがどっちでもいいじゃんっていう投げやりでアバウトな思考が、大きな愛や包容力に似ているなんて、思ってもみなかった。
2013-06-16