2012年 の投稿一覧

『昼下がり、ローマの恋』 ジョヴァンニ・ヴェロネージ(監督)

恋愛逆転勝利マニュアル。

タクシーは映画に似ている。乗った瞬間、ドライバーがコントロールする時空に放り込まれる。少しだけ自分も参加できるけど、ほとんど受け身。

ぜったい遅刻という状況のときは、電車よりタクシーがいい。もしかすると間に合うかもしれないから。目的地と希望到着時間を平然と告げれば、たいていは「無理です」と笑われるが、その瞬間からドライバーは共犯者。私はもう一人じゃないし、プロなら飛ばしてくれるはず。昨日のドライバーは素晴らしかった。安定した加速と小気味よいオーバーテイク。キミ・ライコネンとあなたを名付けよう。2分前に着く。ありえない。ありがとう。「流れていてよかったですね」と彼はさらっと言う。「日ごろの行いがいいんじゃないですか」と。自分の手柄を客に譲るなんてプロの鏡だわ。
昨日は、すべてがうまくまわった。今思うと彼はキューピッド?

「昼下がり、ローマの恋」の原題は「イタリア式恋愛マニュアル3」。3世代の恋愛が描かれるオムニバス形式で、タクシードライバーがキューピッド役として間をつなぐ。イタリアのイケメンアイドルといった感じの俳優で、メインストーリーには直接関係のない彼の存在が不思議な味わいを出している。常識を逆手にとり、逆転勝利につなげるための恋愛マニュアル。

1つめは、若き弁護士、ロベルトの恋。結婚前提につきあっているサラという恋人がいる彼は、農場の立ち退き交渉を命じられ、トスカーナの小さな村に出張するが、現地の美女と浮気してしまう。海に面したこの村の人々と美女の吸引力には逃れがたいものがあるが、サラもそれに輪をかけた魅力を最後に見せる。教訓:恋人が浮気していると思ったら、嫉妬心をむき出しににするのではなく、寂しいと言えばいいのだ。サラのようにふるまえば、彼はきっとあなたのとりこになる。

2つめは、妻子持ちの中年ニュースキャスター、ファビオの恋。相手はエキセントリックなストーカー女だ。こんな女に引っかかったら家庭も仕事も破滅だなと思わせるが、最後に彼があるものを川に投げ捨てるシーンと、病院で女に面会するシーンの美しさが、ありきたりの浮気物語を輝かせる。教訓:恋人を好きになり過ぎて嫌われてしまったとしても、たぶん大丈夫。いつからだって、人生はリスタートできる。

3つめは、7年前に心臓移植手術を受け、独り身になった60代の男、エイドリアンの恋。エイドリアンを演じるのはロバート・デ・ニーロで、恋の相手役を演じるのはモニカ・ヴェルッチ。いくつになっても真剣に恋愛することは素晴らしい、という以前に、いくつになっても真剣に仕事することは素晴らしい、と思わせてしまう超一流の二人である。イタリアの宝石と形容されるモニカ・ヴェルッチの美しさは、永遠に衰えを見せそうにない。教訓:歳をとることは恐いことではない。守るべきものが増えたり、やってはいけないことが増えると思われがちだが、おそらくそんなことはない。プロフェッションを武器に、ますます自由に生きればいいのだ。

今日のタクシードライバー。
「急ぎめでお願いします」と言ったら「目がまわらないように気をつけて」だって。もしかしておやじギャグ? ロバート・デ・ニーロに似ていなくもない初老の男で「僕は速いから」と自信たっぷりである。「昨日の人も速かった」と言ったら無視されたけど、降りるとき「僕のほうが速かったでしょ?」
ロバート・デ・ニーロの出世作「タクシードライバー」を見直してみようと思った。

2012-03-22

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『果てなき路(ROAD TO NOWHERE)』モンテ・ヘルマン(監督)

どこへも行けない路は、どこにでも行ける路。

スタートすれば思いがけない形で走り出し、終わったあとは勝手に成長していく。どんな仕事もそういうものかもしれない。それこそが仕事の醍醐味なのだろう。人生は、自分の意志でコントロールできないロードムービーのようなものだ。

『果てなき路(ROAD TO NOWHERE)』は、映画撮影についての映画、いわゆるメタ映画だ。何をいまさら? でも、これはモンテ・ヘルマンの21年ぶりの監督作、ファン特別大サービス仕様。結果的に、使い古されたこのテーマがここまで斬新な映画として完成してしまったのだから、ひとつのことを徹底的に突きつめるというのはすごいなと思った。
映画を見ながら気づいたことは「映画は、撮っている人がいちばん楽しいんだ」ということ。監督と女優はローマで恋に落ち、撮影が始まれば他のスタッフが苦言を呈するほどの熱愛ぶりだ。キャスティングの過程で「ディカプリオでどうだろう」「スカーレット・ヨハンソンが乗り気だ」なんて皮肉なセリフも出てくるし。だけどロケの現場は幸せなことばかりじゃない。きなくさい人物も紛れ込んでいる。
人生のダークサイドを扱っているのに、楽しげでポップなノリなのは、それが映画だから。美しすぎるローマ・ロケ以外はロサンゼルスの香り満載で、タランティーノの映画を見ている気分だった。タランティーノこそが、モンテ・ヘルマンの追随者であるわけだけど。

映画監督のミッチェルは、映画『果てなき路(ROAD TO NOWHERE)』の製作をスタートする。ある事件を映画化するのだが、実際の事件と撮影中のシーンが入り交じり、さらに撮影現場では日々いろいろなことが起こるから、構造はマニアックで複雑怪奇。フレームの中には最後までカメラがあり、そのカメラで撮られた映像も、映画の中で使われるというわけだ。
「ROAD TO NOWHERE」と呼ばれる路はノースカロライナ州に現存する。その名の通り、どこへも行けない行き止まりのトンネルだ。墓地へ通じる路をつくるはずが途中で頓挫したのだという。映画は、この路のようにどこへも行けないまま終わり、私たちは現実にもどる。

最後に「For Laurie」というメッセージが現れ、この映画が女優のローリー・バードに捧げるものであることがわかる。1970年代の最も重要なカルト映画と評されるモンテ・ヘルマンの『断絶』の主演女優だ。当時この映画は興行的に失敗し、モンテ・ヘルマンと恋に落ちたローリーも、数年後に自殺してしまう。どんな残酷なシーンも所詮、映画の中のできごとなんだという構造を示すことで、モンテ・ヘルマンは自分と彼女を救ったのかもしれない。『断絶』の撮影現場につながる世界を描くことで、彼女を生き返らせたのかもしれない。墓地へ辿り着けない路は、死者を葬らずにすむ路でもあるのだから。
徹底した愛の映画だということは、終わり方をみればわかる。今も監督は孤独な部屋にいる気分なのだろう。だからこの終わりのない、終われないはずの映画は、唯一のカットに、きちんと着地できたのだと思う。

ビクトル・エリセをはじめとする「ぐっとくる映画」のダイレクトな引用はもちろん、個々のカットがいちいち「ぐっとくる映画」の片鱗を匂わせる。それがこの映画そのものであろうが、映画の中の映画であろうが、だんだんどっちでもよくなってくる。結局のところ現実は、完成したこの新しい1本の映画なのだ。
重要人物であるヴェルマの死について、監督はこんなふうに質問に答えている。
「当初、実在のヴェルマの死の場面を見せようと考えていたことは事実だ。しかし、映画はそのシーン抜きでもすでに十分長く、そのシーンを入れることで予算超過することがわかっていたので、そのシーンを捨てることにした。君の言うとおり、この”アクシデント”がミステリアスな雰囲気をさらに高めたはずだ」

映画監督って、自分勝手で楽しそうな仕事だな。でも、興行的に失敗したら大変だろうし、女優と恋に落ちるのもラクじゃなさそう。だから。観客としては、監督よりもっともっと自由な無責任さで、映画を楽しみ尽くしてしまいたいなと思ったりする。

2012-01-17

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