書くよりも大切なこと。
ある文学賞を受賞したとき、私の小説を読んでくれた知人が、登場人物になりきった手紙をくれた。別の知人は続編を考えてくれた。次は私の話を書いて!と言ってくれる人もいた。そして「自分も小説を書きたいんだ」と多くの人が言った。
私自身はひ弱な想像力で小さな嘘をまいたにすぎない。けれど、一人の嘘は一人では完結しない。私は他者を必要としており、それが小説を書く理由なんだと思った。多様な想像の可能性にふれ、打ちのめされ、別の場所へ行くこと。
小説だけじゃない。言葉はすべて嘘だ。真実に近づくための代替物にすぎない。私は日々、大切な人に向けて適当な言葉の断片を投げ続け、意外な言葉の数々を投げ返してもらう。たくさんの嘘で外堀が埋められ、いつか真実の輪郭が浮き彫りになることを信じて。
本書は、小説の書き方ではなく、想像力の磨き方を教えてくれる本だ。映画批評家および文芸・ジャズ・漫画評論家として知られる仏文学教授、中条省平氏の講義録。
パトリシア・ハイスミスの「妻を殺したかった男」、丸山健二の「夏の流れ」、三島由紀夫の「月」、室生犀星の「蜜のあわれ」、フロベールの「まごころ」などのテキストが引かれ、読み解かれる。中条氏の解釈は、ある意味で小説家を打ちのめすものだ。なぜならそれは、作家の意図とは関係のない、自立した想像力に基いているから。すぐれた批評には、批評対象を陵駕する面白さがある。ある作品を詳細に語りながら、作品に依存していない。思い入れの強度とはそういうものだ。
漫画評もすばらしい。楳図かずおの「わたしは真悟」と業田良家の「自虐の詩」の引用と解説の的確さはどうだ? 私は、原作を読んでいないのに泣かされてしまいました。
悪い例として酷評される「黒豹ダブルダウン」(門田泰明)の読み解きですら相当おもしろく、実は黒豹シリーズの売り上げに貢献しているのではと勘ぐってしまう。原文が順に引用され、コメントがこんなふうにつく。「信じがたいほど通俗的な直喩と数字のオブセッション」「一瞬たりとも自分の書きつけた言葉を反省しないのでしょうか」「そんなこと心配している場合か」「この言葉の薄っぺらさ、イメージの大仰さにはちょっとついていけない。ところが、これが何万部も売れる小説なわけです」「一巻を読み終わった時には、あまりにも疲れ、皆さんの添削用の小説を一年分読んだようなめまいに襲われて(笑)、七巻まで読むのは、彼が百巻書くのと同じくらいの労力がいるのではないかという気がしました」etc.
小説を熟知した中条氏が、小説を書かない理由については考えてみる価値がある。ここまで小説を読み込むことができれば、書く必要なんてない。批評のほうが楽しいに決まってる。この本は「批評家になる!」というタイトルのほうがふさわしいんじゃないかって思うほど。
「小説はこれ以上ない雑食的な芸術ジャンルです。そこには、いちおう決まった語り手はいますが、その語りのなかに、どんな階級や集団や職業や個人の考えでも放りこむことができます。また、世界中のあらゆる言葉や出来事を引用することも可能です。一人の作者が一人だけで作りだす世界として、これほど自由で、多様さにみちた芸術は他にないといってよいでしょう」
中条氏はそう定義しながら、小説というジャンルに潜むギリシア・ローマ以来の「知」の歴史的な厚みを示し、「天才ではないわれわれにとって、どんなことでも知らないよりは知っていた方がいいのです」とさらっと言う。そこをわかった上で「どうぞご自由に何でもやってください」とそそのかすのだ。とっても知的!
2002-01-15
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