愛とは、同じ時代に死ぬこと。
同級生が亡くなった。彼女が好んだスマップの曲が、葬儀上のすみずみにまで絶え間なく流れ、花に埋もれた彼女の顔は、まるで白雪姫のよう。私は、笑ってるんだか泣いてるんだかよくわからないサイレント映画のような参列者たちを見回す。100年後には、おそらく全員が死んでいるのだろう。彼女はほんの少し、早かっただけなのだ。
「A.I.」を見た。映画には、お金のかかった映画とお金のかかっていない映画の2種類があるが、この映画はもちろん前者。平日なのに行列ができていて驚く。劇場の広さに驚く。冷房の強さに驚く。パンフレットの大きさに驚く。音響の迫力に驚く。ハリウッド系の大作映画を見るのは久しぶりなのだった。
愛という感情をインプットされたA.I.(人工知能)の子供、デイビッドと、彼のパートナーとなる旧式のスーパーロボット、テディ。彼らの「完璧ないたいけなさ」があざとすぎずに済んでいるのは、「A.I.」が、数千年にわたる技術の進化を軸に繰り広げられるクールで壮大な物語だからだ。
ある家庭にデイビッドが試験的にやってきて、捨てられるまでの話は、かなり面白い。感情をもったロボットが、日常生活でどこまで受け入れられ、どの辺が問題になってくるのかを丁寧にシミュレーションしてくれる。この映画、この部分だけでもよかったかも。
デイビッドの冒険が始まる第二章は、SFXのオンパレード。このあたりから私は眠くなってくる。まるで徹夜明けにディズニーランドに遊びにいったような気分だ。 「手に汗握る技術自慢のシーン」こそがハリウッド映画の真骨頂なのだろうが、おかげで、どの映画も画一的な印象に見えてしまう。かなり残酷な内容であるというのも、お決まりのパターンか。ファンタジーとはいえ、いや、ファンタジーだからこそ、暴力や差別意識への予定調和的な想像力が、私は怖い。
泣かせるための強引な設定も、気になるところ。この作品のキモとなるクローン再生技術については、「1回限り・しかも有効期間1日」というタイムリミットが説明されることで、ずいぶん白けてしまう。
とはいえ、ディズニーランドは楽しい。よくできている。永遠に死ぬことのない人形や動物や超人が「人間になりたい」と願う話はよくあるが、「A.I.」は、この定番化されたストーリーを美しくスクリーンに定着することに成功していると思う。 水に包まれた近未来と、さらに2000年後の氷に包まれた世界が、甘すぎるファンタジーを冷たく中和し、忘れがたいシーンとして脳裏に刻まれる。
たまたま同じ時代に生き、同じ時代に愛し合い、同じ時代に一緒に死んでいく偶然とは、なんとかけがえのない摂理だろう。誰もが恐れている死の概念を、限りなくやさしく描くラストシーンには、力づくで泣かされてしまう。
*2001年 アメリカ映画
2001-07-22